ザンデルリンク指揮フィルハーモニア管のベートーヴェン「英雄」交響曲を聴いて思ふ

beethoven_symphonies_sanderling_philharmonia090モーツァルトもベートーヴェンも、そしてワーグナーも、稀代の天才たちはいずれも時代のずっと先を歩いていた。それこそ100年、200年という未来を見通して音楽作品を創造していたのである。
ワーグナーが、賛否両論あれど、当時世界が受け容れられない作品を書こうとしていたのではないことは、当時の「コジマの日記」をひもとけばわかる。1871年3月1日の興味深いエピソード。

昨日、「歓喜の序曲」について話した際に、この作品を口汚く罵ったリヒターをリヒャルトが厳しくたしなめるひと幕があった。リヒャルトは、この序曲がいかに民衆的な祝祭の香りにあふれているかを説いて聞かせ、民衆が敬愛する王を迎える場面は、いわば理想の舞踏であり、輪舞であると述べた。そこには音楽の専門家の耳にしか聞きとれないような小細工など入り込む余地はなく、最高の意味において大衆的でなければならない、と。リヒャルトはわたしに、音楽家はひとつの理念、ひとつの原像の刻印を受け、それに従って音楽を構想するが、そうして作られた音楽を具体的なイメージによって説明することはできないし、またそれはやってはならないことだと教えてくれた。
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記2」(東海大学出版会)P366-367

「最高の意味で大衆的」という言葉と「音楽を具体的なイメージによって説明することはまかりならぬ」という言葉は相反するように思えるが、この言葉の裏にこそワーグナー・マジックの秘密がある。何かを想像させない、ひもづけさせない「抽象性」こそが傑作の条件だとワーグナーは言うのだ。裏返すと、音楽家が受けた刻印を、それを享受する僕たち聴衆の内側にもはっきりとイメージできる感性と耳が要求されるということにもなる。

ところで、ベートーヴェンの「英雄」交響曲にまつわるエピソードは有名だが、團伊玖磨氏の「ナポレオンとベートーヴェン」なるエッセーには次のようにある。

この曲を作曲した時、ベートーヴェンの心にあったナポレオンは「軍人としてよりはむしろ社会的人物、即ち熱情的自由の戦士、彼の国家の救主、秩序と繁栄との回復者、如何なる困難にも打ち勝つ偉大な指導者」として尊敬されていたという。・・・
しかし、この献呈は、ベートーヴェンの方から破棄されてしまう。ベートーヴェンの知らぬ間に、ナポレオンには変化が起こる。1804年に、彼に「皇帝」の称号を与える動議が上院を通過し、5月18日には彼がその称号を受ける。この報がウィーンに届き、ベートーヴェンの友人リースが彼にこのことを知らせた時、ベートーヴェンは激怒する。「彼も俗人に過ぎなかったのか!彼は自らの野心を満足するために、人間のあらゆる権利を足下に踏み潰し、嘗て無き暴君になるであろう!」こう叫んだベートーヴェンは、楽譜を取り上げ、その表紙を引きちぎり、床に投げつけたと言う。そしてそれ以降は、彼の心の中でナポレオンは尊敬されなかった。そして交響曲とナポレオンの関係も彼の心の中で打ち消されたままになった。
~「音楽の手帖 ベートーヴェン」(青土社)P36-37

どんな背景があろうと、そしてベートーヴェンがどこからどうインスピレーションを受けようが、献呈を破棄した時点でこの作品はれっきとした「絶対音楽」として君臨するようになったということ。ならば僕たちもそのように扱うべきだろう。

ベートーヴェン:
・交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1981.1.8-10, 12-17録音)
・バレエ音楽「プロメテウスの創造物」作品43序曲(1981.2.4&6録音)
・序曲「コリオラン」作品62(1981.1.4-7録音)
クルト・ザンデルリンク指揮フィルハーモニア管弦楽団

何というのか、宙から音を取り出し、緻密に織り込んでいくような、そんな演奏。クルト・ザンデルリンクは職人だ。出て来る音楽の質感は朝比奈隆のそれに近い。ただし、オーケストラがフィルハーモニア管弦楽団であるせいか、朝比奈より響きがごつごつせず、柔和でソフィスティケートされているのが特長。
この人も、とにかく「楽譜に忠実」というのがモットーなのだろう、第1楽章アレグロ・コン・ブリオ提示部の(煩わしい)反復をきちんとし、コーダの例の主題が埋もれる箇所もトランペットに吹かせるのでなく原典通りに木管群によって奏させ、何とも「美しい」効果を発揮している。これこそベートーヴェンが意図した純粋絶対音楽。
そして、大いなる念を込めて滔々と歌われる第2楽章「葬送行進曲」の、自然で崇高な音楽に感涙。主題を奏するときの、遠くで明滅するような意味深い弱音の効果はいかばかりか!!
第3楽章のスケルツォは、トリオの美しさに目を(耳を?)瞠るが、何と言っても素晴らしいのが続く終楽章アレグロ・モルト。冒頭の生気溢れる序奏を聴くだけで心が弾むほど。ピツィカートによる主題の理想的なテンポ!!その後の変奏においてもザンデルリンクは音楽を丁寧に作り上げるが、特に、第6変奏以降の、懐かしさを引きずるような木管群の調べは卒倒もの。

ザンデルリンク&フィルハーモニア管弦楽団の楽聖交響曲全集は素晴らしい。CD化もされず、なにゆえ長い間廃盤の憂き目に遭っていたのか解せぬほど。

 

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2 COMMENTS

畑山千恵子

今までの説は、アントン・シンドラーの捏造です。ベートーヴェンはイギリス、フランスの聴衆にも自作を聴いてもらおうと考えていました。ベートーヴェンはパリに移住し、ナポレオンの前で自作を演奏し、ナポレオンをはじめとしたフランスの聴衆たちに聴いてもらいたかったからです。ベートーヴェンは、ナポレオンが皇帝になることは知っていました。しかし、フランス、オーストリアの関係が悪化したため、ベートーヴェンはパリ移住を断念しました。
この件について、2007年、仙台での日本音楽学会、全国大会で桐朋学園大学教授、大崎滋生氏が「ベートーヴェン神話は信用しうるか」というタイトルで学説として発表しました。この時、私も日本のピアノ界発展に尽くしたレオニード・クロイツァーのベートーヴェン解釈に関する発表を出しましたから、覚えています。この大崎学説は桐朋学園大学、研究紀要、2008年版で見ることが可能です。
2010年、中川右介は「モーツァルトとベートーヴェン」でも取り上げていますが、この学説すら知らず、書物から出したものですので、怪しいと思います。

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岡本 浩和

>畑山千恵子様
へぇー、ほんとですか!!驚きです。その説は初めて聞きました。ありがとうございます!
勉強になります。

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