グールドのベートーヴェン「悲愴」ソナタ(1966.4録音)ほかを聴いて思ふ

沈む日のひかりは麗し。
されど更にうるわしきは、君が眼のかがやき。
夕映の紅らみと君が眼と
そは愁わしきわが心に照り入る。
「沈む日」
片山敏彦訳「ハイネ詩集」P187

人の眼は見事にものを語る。
ジャケットに写るピアニストの虚ろな、しかし鋭い眼光はいったい何を見つめているのだろう?

楽想に合わせて極端にギヤチェンジする様に、ついていけない人はもちろんいるのだと思う。しかしながら、この感情の「自然な」揺れは、まるでこの稀代のピアニストと直接に対話するように聴こえなくもない。
「悲愴」ソナタ第1楽章序奏グラーヴェの重い足取りは僕たちの期待を高める狼煙。そして、主部アレグロ・ディ・モルト・エ・コン・ブリオに入るや人間業とは思えない猛スピードで駆け抜ける様子に唖然とする。あまりにメカニックで、この正確無比の所業は人の指が奏でているとは思えない代物。ただし、それでも決して非情な音楽に陥らないのがグレン・グールドのグールドたる所以。若きベートーヴェンがうねる。
そして、第2楽章アダージョ・カンタービレにおいて音調は一変する。
確かにグールドは歌わない。語りかけるように、ぽつりぽつりと音を途切れさせ、それでも一音一音に感情を込め、ベートーヴェンの魂の癒しを見事に音化する。ただ「美しい」という一言があるのみ。
続く終楽章アレグロの、ほど良いテンポと、終わりに向け突進していく音楽の勢い、直前にリタルダンドし、現世を惜しむように歌う瞬間に、わずか50年で散るように逝ったグールドの儚い命が映し出されているように僕は感じる。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13「悲愴」(1966.4.18&19録音)
・ピアノ・ソナタ第9番ホ長調作品14-1(1966.2.3録音)
・ピアノ・ソナタ第10番ト長調作品14-2(1966.2.10, 5.16&17録音)
グレン・グールド(ピアノ)

ホ長調ソナタ第1楽章アレグロの弾ける喜び。また、第2楽章アレグレットの、特に中間部の淡い明るさに逆に悲しみを感じてしまう表現の巧さ。あるいは、終楽章アレグロ・コーモドのいかにも男性的な力強さ。どれもが素晴らしい。
さらに、果敢なグールドの、いつもより激しく(?)唸り声を伴う、愛するト長調ソナタ作品14-2。第1楽章アレグロで、音楽は軽やかに、それでいて華麗に奏でられ、僕たちの心を奪ってゆく。第2楽章アンダンテの言葉に表し難い静けさとピアニストの感情移入には涙がこぼれる。何て可憐で優しい音楽なのだろう。
その後の終楽章アレグロ・アッサイの奔放さ・・・。

日は高く空にあり、
白き雲、太陽のめぐりに浮び、
海は静か、
夢みつつ、もの思いつつ
乗る船の舵のかたえに横たわりて
半ば醒め、はた半ば夢見ごこちに、われは見ぬ、
われは見ぬ、クリストを、救世主なる人の子を。
「平和」
~同上書P119

ハインリヒ・ハイネの詩が心地良い。

 

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2 COMMENTS

雅之

>確かにグールドは歌わない。語りかけるように、ぽつりぽつりと音を途切れさせ、それでも一音一音に感情を込め、ベートーヴェンの魂の癒しを見事に音化する。ただ「美しい」という一言があるのみ。

「美しい」の正体とはいったい何なのでしょうか? たとえば、この演奏を愛でる人の想いがこの演奏を美しくさせている、ただそれだけに尽きるのではないでしょうか。

グールドはそのことに改めて気付かせてくれるような気がします。

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岡本 浩和

>雅之様

>グールドはそのことに改めて気付かせてくれる

これを聴いて、酷いと感じられる方もいらっしゃるでしょう。
おっしゃるように「美醜」は人のフィルターを通したものですから、絶対のものではないですね。

「美」という文字がシンメトリーなのは、それこそ受け止める者の鏡としての現象だということを表わしているのではないかと思いました。
たぶん、昨日の僕の心は清らかで美しかったのでしょう。だからグールドの変わったベートーヴェンを聴いてそう感じた。
また別の日に、僕の心が鬱積して濁っているときに聴いてみると、今度は「醜い」と思うかもしれません。

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