ひょうきん族

外は快晴、しかも夏のように暑い。
「気持ちがいい」と言いたいところだが、「氣」はあまり良くない。

そういう日は気分転換に明るい音楽を聴こう。
いわゆる古典音楽と認識している音楽は西欧音楽であり、その西欧音楽の発祥はイタリアである。ゲルマン音楽を好む僕は普段あまりイタリア音楽は聴かない。イタリア音楽は快活で脳天気なくらい明るい。中でもロッシーニの音楽は最右翼だ。

ロッシーニ:序曲集
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団


ロッシーニといえば「ウィリアム・テル」序曲。僕の世代にとっては「ウィリアム・テル」序曲といえば「オレたちひょうきん族」。運動会などいろんなところでよく使われる有名なあのメロディーを有する曲である。曲の終結部分で、突然金管楽器のファンファーレが鳴り響く。それがあの旋律だ。途轍もなく明るい。そして何か「元気」をくれる音楽のように聴こえる。しかし、それは「カラ元気」。だから、僕はあまり好きじゃない。もともとロッシーニの音楽は滅多に聴かないからどちらでもいいといえばいいのだが、しいて言うなら「泥棒かささぎ」序曲(1817年、25歳のときの作曲)をとる。心地よい。気が晴れる。
とにかく彼は、19世紀初頭当時スタンダールをして「ナポレオンは死んだが、別の男が現れた」といわしめた天才であった。しかし、37歳のときに作曲の筆を折り、44歳にして音楽界から引退。その後は76歳まで美食の限りを尽くした隠居生活。いわゆる成人病の連続で最後は直腸癌で亡くなったらしい。

「天命」を忘れたということですね。いかに天才といえども「我」に走るとやっぱり終わっちゃうということ。自分の生かされている「使命」を忘れないようにしたいものです。

⇒旧ブログへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む