アマデウス四重奏団のモーツァルト弦楽五重奏曲K.614ほかを聴いて思ふ

mozart_quintet_amadeus_q365なるほど、世の中のすべてが表裏で成り立っているのだと思い知った。
どんなものにも隠された意図がある。しかしながら、その意図は僕たち凡人にはわからないようにできているもの。
裏に在る意味を意識しながら何事も見るが良い。

アマデウス四重奏団の演奏するモーツァルト最後の弦楽五重奏曲を聴いて思った。

モーツァルトはここで前記の「交響的充実」も「広い空間の逍遥」も意図的に避け、弦楽器五本という重い身体を引き締めて、四重奏の軽やかさに挑戦しているのである。最後の年におけるモーツァルトの独奏が、ここにも姿をあらわしている。すべての虚飾を脱ぎ捨てる姿勢は第2楽章アンダンテをも支配し、その透明感を際立たせる。
礒山雅著「モーツァルト」(筑摩書房)P88

経済的な困窮も、死に対する不安も凌駕する明朗な精神の体現。
K.614のどこをどう切り取っても当時のモーツァルトの苦悩は見られない。とはいえ、であるがゆえの無意識の作為が垣間見える。諦念の中に在る簡潔に書かれた慈悲とでも表現しようか。
より凝縮され、簡潔な書法に落ち着いてゆく最晩年のモーツァルト。この直後、彼の筆は「魔笛」の創作に染まる。これこそ表裏一体の極致の芸術。当然、最後の五重奏曲にもその意識はあったことだろう。

モーツァルト:
・弦楽五重奏曲第1番変ロ長調K.174(1975録音)
・弦楽五重奏曲第3番ト短調K.516(1969録音)
・弦楽五重奏曲第6番変ホ長調K.614(1968録音)
セシル・アロノヴィッツ(ヴィオラ)
アマデウス四重奏団

アマデウス四重奏団の演奏にはこの天才作曲家への忠実な愛情が感じ取れる。
何と軽やかなことだろう。
そして、ひとつひとつの音が何と意味深いこと。
セシル・アロノヴィッツのヴィオラを獲得しての、内声の充実した五重奏曲の、何とも切ないながら愉悦的な響きに最初から最後まで心動かされるのだ。
名作ト短調K.516も美しい演奏。

 

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