内田光子のシューベルトD850&D784(1999.8録音)を聴いて思ふ

schubert_d850_d784_mitsuko_uchida375いよいよ内田光子は孤高の境地に入りつつあるらしい(もう随分前からか?)。
彼女の弾くフランツ・シューベルトは青白くあまりにも不健康に響く。しかし、それこそが夭折の天才作曲家の本懐なのだ。

モーツァルトは、「魔笛」序曲創作のためにクレメンティのソナタ変ホ長調作品24-2第1楽章アレグロ・コン・ブリオから主題を借用した。そして、シューベルトのソナタニ長調D850第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ冒頭の連打和音を聴くと、僕はどういうわけか「魔笛」のファンタジーを思う。彼がかの「魔笛」の表裏と同様の世界を表現しようとしたのかと錯覚するほどに。軽快なリズムの裏側に聴こえる悪魔的な響きは、晩年の作曲者の内に潜む死神が踊るかのよう。

どこかで聴いたことがあるような・・・、なるほどブラームスの「大学祝典序曲」に出る旋律。やっぱりシューベルトはモーツァルトやベートーヴェンの世界と、後のロマン派との懸け橋となる重要な作曲家みたい。
古の作曲家のエッセンスを包括し、音と遊ぶ見事なパフォーマンス。おそらく内田光子ならではの深みのある語り口。彼女のシューベルトは病的だけれど素敵だ。
第2楽章コン・モートは、いかにもシューベルトらしい天国的な長さに支配される限りなく女性的な美しいひとコマ。独特のリズムには後のリストのような片鱗すら窺える。ここにもシューベルトの先駆がある。

シューベルト:
・ピアノ・ソナタ第17番ニ長調D850
・ピアノ・ソナタ第14番イ短調作品143(遺作)D784
内田光子(ピアノ)(1999.8.7-11録音)

続く第3楽章スケルツォの生命力と躍動感、そして中間部の徐々に高まりゆく調べに、シューベルトが1825年時点ではまだまだ未来への希望溢れていたことが証明されるよう。一音一音を大切に紡ぐ不思議な足取り。ここにも内田光子の天才を思う。また、終楽章ロンドのあまりの愛らしさと静けさ!!

そして、1823年2月に作曲されたソナタイ短調D784の、14分に及ぶ第1楽章アレグロ・ジュストの深遠さに思わず感涙。
ちなみに、ほぼ同時期の日記には「ぼくの祈り」と題する一篇がある。わずか26歳の青年の作とは思えぬ崇高さ。彼は「求めていた」のである。

深い憧憬の神聖な戦きが
より美しい世界を求めている
この暗い空間を
全能なる愛の夢で充たそうと望んで

大いなる父よ!この子に与え給え
深い痛みへの、いまや報いとして
待ち望む救済の聖餐として
あなたの愛の、永遠の輝きを

みよ、ここに塵にまみれて
わが生涯の、苦節の道の
未曽有の苦悩が屍をあらわす
永遠の滅びに近づきながら

殺せそれを、僕自身も殺せ
堕ちよすべて、亡びの劫火に
そうして清く、力あるものを
おお、大いなる父よ、栄えさせ給え
(1823年5月の日記)
前田昭雄著「カラー版作曲家の生涯 シューベルト」(新潮文庫)P103

第2楽章アンダンテの、憧れに満ちた歌にも感動。
終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの爆発と解放は内田の真骨頂。

明々後日、久しぶりに内田光子の実演に触れる。
果たしてどれほどの進化、深化が確認できるのだろう・・・。

 

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2 COMMENTS

渡辺

渡辺です。
お久しぶりです。

私は、11月10日(火)の公演を聴いてきました。
まさに圧巻の演奏でした。

シューベルトの即興曲op.90の最初の音だけでノックアウト状態になりました。
後半のディアベッリの変奏曲も素晴らしかったです。
日曜日は是非とも愉しんできてください。

ところで、メナヘム・プレスラーの公演中止は残念ですね。
健康の回復を祈りましょう。

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岡本 浩和

>渡辺様
ご無沙汰しております。
火曜日に聴かれたのですか!皇后さまご臨席で凄かったらしいですね。
日曜日、全身全霊で聴いてまいります。
そうですね、プレスラーの中止、もう残念でなりません。
ともかく快復いただいて、あらためて来日いただきたいと願うばかりです。

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