バーンスタイン指揮バイエルン放送響のハイドン「天地創造」(1986.6Live)を観て思ふ

Haydn_schopfung_bernstein_dvd水があり、火があり、そして風があり、まるで5000年の歴史を一足飛びに追体験したような移ろいの日。地球も僕たちもまさに変容の最中にあるのだろう。
宇宙の生成は時間をかけたものでなく、実際は一気だったのだろう。
人間の感覚からするとそれが何億年という歳月に相応するだけで・・・。

ヨーゼフ・ハイドンが最も脂の乗った時期に書いた2つの傑作オラトリオ。ひとつは旧約聖書「創世記」とミルトンの「失楽園」を題材にした「天地創造」。またひとつは、大地と人々の四季歳々を音化した名作「四季」。いずれも作曲者晩年の、人生の総決算ともいうべきマスターピース。

「天地創造」第2部第27曲三重唱(ガブリエル、ウリエル&ラファエル)における神への畏怖。

おお、神よ、御身の御業の多きことよ!
その数を知る者は誰ぞ。

終始神への賛美が歌われる作品の隅から隅まで行き渡る大いなる光。ハイドンの音楽は決して抹香臭くないところが素晴らしい。それは晩年のバーンスタインの表現の功績ともいえる。あまりに濃厚で浪漫的で、音楽は粘りうねる。それこそ、生きとし生けるものへの愛、すなわち博愛、あるいは、アダムとイヴの愛、すなわちエロスなるもの。世界の行き着く先のあらゆる「愛」というものを、人間愛の人であったバーンスタインが自らの棒で描き尽くした2時間の大河ドラマ。

冒頭、第1部第1曲、宇宙開闢前の混沌の描写から引きずるような祈りの音楽に引き込まれる。そしてまた、ここでの指揮者の想いのこもった表情、あるいは身体中から湧き出る底なしのエネルギーに感極まる。
その詩の通り、混沌の中に秩序が起こり、自然が形成され、植物が芽生え、動物が生れるその音楽の調子にハイドンの天才を思う。

絶望と怒りと恐怖は消え去る。

・ハイドン:オラトリオ「天地創造」Hob.XXI:2
ジュディス・ブレゲン(ソプラノ、ガブリエル)
ルチア・ポップ(ソプラノ、エヴァ)
トマス・モーザー(テノール、ウリエル)
カート・オルマン(バリトン、アダム)
クルト・モル(バス、ラファエル)
ヘトヴィヒ・ビルグラム(チェンバロ)、ほか
レナード・バーンスタイン指揮バイエルン放送交響楽団&合唱団(1986.6.25-30Live)

ラファエル役クルト・モルの安定した見事なレチタティーヴォ!
自然は人とひとつであり、神もまた人とひとつであること、すべてはひとつであることを堂々たる歌唱で圧倒する様。
あるいは、第3部から登場のエヴァ役ルチア・ポップの可憐で美しく、そして他を冠絶する歌の巧さ!
そしてもちろん、オーケストラの響きの柔らかさ、温かさ。あるいは、合唱の自然体の響き。
例えば、第3部29曲のフルートによる三重奏ひとつとってみても、その高貴かつ自然な響きに癒される。また、終結合唱「すべての声よ、主に向かって歌え!」での荘厳な歌に感無量。最後の「アーメン」のためとうねりはバーンスタインの真骨頂。

それにしても、怒り、悲しみ、喜びなど、バーンスタインの音楽描写の巧みさは超一流。
おそらくバーンスタインの解釈は賛否両論あろう。
もちろん表情付けなど過剰な面も大いにあることはわかる。
それでも僕は彼のこの愛に溢れたあまりに人間臭い類い稀な「天地創造」を推す。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ


2 COMMENTS

雅之

全体が3部構成であるこの曲、ソリストが、第1部と第2部が、天使ガブリエル(S)、天使ウリエル(T)、天使ラファエル(B)、第3部が天使ウリエル(T)、アダム(B)、イヴ(S)で各部何れも3人なことや、台本がモーツァルトにドイツ語版「メサイア」の編曲を依頼したゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵であることから、同曲の背後にもフリーメイソンの影響があることを推測してしまうのは私だけでしょうか。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む