フルニエのJ.S.バッハ無伴奏チェロ組曲集(1972東京ライヴ)を聴いて思ふ

bach_cello _fournier_1972_tokyo16119世紀のバッハ復興のきっかけを作ったのは、当時ライプツィヒ・ゲヴァントハウスの指揮者であったフェリックス・メンデルスゾーンその人。一方で、ちょうどその頃初演されたワーグナーの交響曲ハ長調のオリジナル・スコアは失われたままになっているそうだが、どうやらメンデルスゾーンとの間に何らかの関係があるのではと推測されているよう。
前世紀の天才バッハ再発見に尽力したメンデルスゾーンは、同時代の天才ワーグナーの発見を遅らせるべく手の込んだ作為をやってのけたということか?実に興味深いエピソードである。

信仰心篤かろうとそうでなかろうと、バッハのチェロ曲はどんな人々の心へも直接に響く。
これもまた癒しの音楽。
あくまで平常心を保つピエール・フルニエ。しかし、奏される音楽は実に感情の坩堝と化し、聴く者(日本の聴衆)を特別な、独自の世界へと誘う。

5度目の日本ツアーに来ることができて本当に嬉しく思います。とても立ち去り難いです。というのは自宅からは非常に遠いものの、日本ではいつもくつろげるからです。私の切なる望みは、またすぐに戻ってきたいということです。なぜなら日本ツアーと日本の友人たちについての私の思い出は非常に鮮烈だから。最初に招待された時、日本のみなさんのために演奏し、彼らを知ることができ、大いなる喜びと名誉を感じたことを、私は決して忘れません。
~ライナーノーツよりフルニエの演奏後のあいさつ

1972年、5度目の来日時の虎ノ門ホールでの実況録音(第2夜)。

J.S.バッハ:
・無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調BWV1010
・無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調BWV1008
・無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調BWV1012
・フルニエ、無伴奏チェロ組曲第4番について語る
・フルニエ、無伴奏チェロ組曲第2番について語る
・フルニエ、無伴奏チェロ組曲第6番について語る
・フルニエ、演奏後のあいさつ
ピエール・フルニエ(チェロ)(1972.3.4Live)

難曲第6番ガヴォットの可憐さに跪く。何という優しく美しい音色であることか。聴衆を前にしたフルニエの演奏は、スタジオでのそれ以上にある意味鬼気迫る。なのに実に繊細で柔らかい。

ケーテンでは月が降る。

ケーテンへ向かう途中で、夜になった。
見渡すかぎりの野が、次第に夜に染まってゆく。
気がついたら、月が上にあった。
満ちる一歩手前の、銀いろの月。その光が、いちめんの野に煌々と降っている。
夜のなかでひとつに溶けている空と野のただなかで、そこだけが明るく澄んでいた。
寂しかったが、華やかだった。
あの月を、バッハも見たのだろうか。
加藤浩子文/若月伸一写真「バッハへの旅」(東京書籍)P174

加藤浩子さんが著した「バッハへの旅」の中の「ケーテン」の章冒頭が美しい。真夜中の満月前の月を愛でながら耳にするバッハの音楽に真に相応しい、韻文のよう。

 

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