第551回定期演奏会ハーディング指揮新日本フィル ブリテン「戦争レクイエム」

britten_war_requiem_harding_njpo_20160115424なるほど情念渦巻く音楽だ。
20世紀に起こった大殺戮へのアンチテーゼとはいえ、戦争で没した人々への鎮魂だけでなく、ここには作曲者自身の極めて個人的な体験、抑鬱や疎外感までもが投影されるよう。
もはや言葉にならない。
終演直後の長い静寂がそのことを物語る。
第3次世界大戦が今や見えないところで始まっているであろう時代だからこその現実味。ここで作曲者が希求したものは、そして今ここで演奏する人々が求めたものは無益な戦いを永遠に葬ることではなかったか。
初演から50余年を経ても、この地球で戦争がなくなることはなかった。
目には目を、誰もがいかにもという正義をかざし、己を正当化し、同時に平安から離れていくものなのか。

この立体的音像から思うに、その舞台を観ない限り音楽の意味は絶対に見えないだろう(たとえ自作自演の名録音を繰り返し聴いたとしても)。
第1楽章「永遠の安息を彼らに与えたまえ」の静けさから湧き上がる念。管弦楽と合唱が生み出すあの世からの聖なる声に早くも心動く。続く、客席3階後方より響く天使のような可憐な少年合唱はまるであちらの世界からの警告だ。上手内側に位置する室内オーケストラを伴って、イアン・ボストリッジによって激しく歌われるウィルフレッド・オーウェンの詩に俗世の苦悩を思い、思わず心が痛む。

虫けらのごとく死んで行く人々を
弔う鐘とは、
ただ、鉄砲の恐ろしい怒りだけ。
口早に吃る小銃の連射の音のみが
彼等のせわしい祈りを口早に唱えてくれるのだ。
(以下、太字対訳はすべて高崎保男氏によるもの)

一呼吸置き、合唱が立ち上がり、長い第2楽章「怒りの日」の火ぶたが切って落とされる。金管群の重厚なファンファーレと女声合唱の猛烈なエネルギー。直後の、穏やかなバリトン独唱、さらに、ステージ後方オルガン下に位置する熱風の如くのソプラノ独唱。

その時こそ、この世を裁く
すべての言葉を書き記したる書、
差し出さるべし。
かくて、審きの主、座につきたもう時、
隠れたることすべて明らかとなり、
報いを受けずして残るものとてなかるべし。

今夜の3人の独唱者はそれぞれに素晴らしかったが、何よりソプラノのアルビナ・シャギムラトヴァの大いなる祈りの歌唱力に度肝を抜かれる。喝采。

しかしまた、イヴェルセンとボストリッジの二重唱により僕たちは一気に現実に揺り戻されるのだ。怒りが爆発し、また、癒しの叫びが起こる。聖俗が拮抗し、入り乱れる音楽の応酬。

戦場で、われわれは死に向かって
ごく親しげに歩み寄って行った。
死と一緒に落ちついてゆっくりと、
腰を下ろし、食事をした―

第3楽章「奉献文」は、清らかなオルガンに導かれ、少年合唱が祈りを捧げるが、すぐさま小太鼓の炸裂により静寂が打ち破られる。嗚呼、美しき哉。

第551回定期演奏会〈トリフォニー・シリーズ〉
2016年1月15日(金)19:15開演
すみだトリフォニーホール
・ブリテン:戦争レクイエム作品66
アルビナ・シャギムラトヴァ(ソプラノ)
イアン・ボストリッジ(テノール)
アウドゥン・イヴェルセン(バリトン)
栗友会合唱団(合唱)
栗山文昭(合唱指揮)
東京少年少女合唱隊(児童合唱)
長谷川久恵(児童合唱指揮)
西江辰郎(コンサートマスター)
崔文洙(室内オーケストラコンサートマスター)
ダニエル・ハーディング指揮新日本フィルハーモニー交響楽団

煌めく打楽器の前奏に、夢から覚めるが如くの第4楽章「サンクトゥス」。
ソプラノの絶唱の後の合唱の猛烈な混沌に卒倒、また、ブルックナーのような金管の咆哮に感激。
さらに、第5楽章「アニュス・デイ」における室内オーケストラを伴うボストリッジの独唱は光輝を放っていたが、何より今夜の白眉は第6楽章「リベラ・メ」だろう。
オーケストラも室内オーケストラも、そして独唱者も合唱も児童合唱も、すべてが渾然一体となる瞬間のカタルシス。また、終末のテノールとバリトンによる静かな歌。

さあ、みんな、眠ろうではないか・・・

天から届く児童合唱のあまりの美しさ。「戦争レクイエム」は、20世紀の誇る恐るべき音楽である。

彼らに永遠の安息を与えたまえ、主よ、
彼等が上に永遠の光の照らさんことを。
アーメン。

世界から一切の争いがなくなることを願って止まない。
世界はひとつだという意思を決して放してはならない。
ちなみに、今夜のサントリーホールのプログラムは、井上道義指揮東京フィルによるショスタコーヴィチの「レニングラード」交響曲。神様の不思議な意図を感じずにいられない。

「戦争レクイエム」のクライマックスは「リベラ・メ」に置かれており、ここで作曲家は平和を、「永遠の死」からの解放を訴える。巨大な合唱とオーケストラの爆発のあと、テノールとバリトンはオーウェンの詩「奇妙な出会い」を互いに歌いあう。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽2」(みすず書房)P445

 

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8 COMMENTS

雅之

「戦争」は果たして全部が「悪」と言い切れるのでしょうか? 常識を疑うことから、「平和」の真の有り難みがわかるのではないかと考えました。

戦争は、増えすぎた世界人口を調整し、破壊によりスクラップアンドビルドを促進し停滞していた経済を活性化させます。戦争がなければ「戦争レクイエム」という傑作も、クラシックの名曲の多くも生まれなかったでしょう。みんな戦争があったおかげです。

ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスは、次のように語りました。

「互いに異なるものからもっとも美しいものが生じる。万物は争いより生じる」

「みずからと対立するものは、みずからと調和している。逆方向に引っ張り合う力の調和というものがあるのだ。たとえば弓や竪琴の場合がそれである」

「戦争は遍きものであること、正道は争いであること、万事は争いと必然に従って生ずることを知らなければならない」

「戦いは万物の父である」

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岡本 浩和

>雅之様
世界が二元である以上、それはその通りだと思います。
しかしながら、この陰陽の世界はいずれ近いうち崩壊し、ベートーヴェンが第9などに託したようにひとつに収斂される時代が訪れるのではないかという希望を僕は持っています。

そうなると戦争、平和という概念もなくなりますし、そもそも善悪という捉え方がなくなるのですがね。(笑)

ヘラクレイトスの言葉はやっぱり西洋二元論的な論点で、今の僕はむしろ禅の原点である「無門関」の中の「不思善不思悪」の方がピンときますね。

返信する
雅之

>そうなると戦争、平和という概念もなくなりますし、そもそも善悪という捉え方がなくなるのですがね。(笑)

今だってそうですよ。だって善悪のない世界は、太古から連綿と続く地球の生態系そのものじゃないですか(笑)。

狩猟で生きるライオンや狼には弱肉強食だろうがなんだろうが善悪はありません。それは、肉や魚を食べる人間も同じで、れっきとした殺戮行為ですが単なる食物連鎖の一貫です。人間が戦争をしようがやめようが、核兵器を実戦で使おうが、そんな世界でも大自然の一部で、善悪なんて人間ではない宇宙人から眺めたら関係ありません。そもそも宇宙空間なんて放射線が無数に飛び交う生物が生きられない世界がほとんどです。

人殺しをしても強姦しても、善悪という捉え方がなければやりたい放題自由です(笑)。

それでもこの世界に、N極とS極、プラスとマイナスの電荷、物質と反物質などの二元論は存在します。

返信する
雅之

・・・とコメントさせていただいたものの、第9ならぬ憲法9条論争みたいな手に負えない話題になり、申し訳ございませんでした。ご迷惑でしたらお手数おかけしますが上記コメントを全削除してください。

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岡本 浩和

>雅之様
陰陽というのは確かに存在するのですが、それを認識し、判断するのは唯一人間だけです。
プラスとマイナスもただそこにそれがあるだけというものを、人間が記号化し、名付けたものです。
自分たちで概念を作っておき、結局それに縛られているのが僕たち人間です。

おっしゃるように何事もそこに「ある」のですが、ただ「ある」だけでそれに対して判断するのは実は非常に困難だというのがこのところの僕の考えです。

人間には手に負えない問題ですが、であるからこそこうやって問答することの面白さを思います。
文字化するのも限界があるので、本当に言いたいことの半分は書けていないのですが。

これからもどんどん仕掛けてください。それでこそ雅之さんにコメントをいただく醍醐味です。

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渡辺

お久しぶりです。

私も同日の演奏を聴いていました。

演奏を聴いてつくづく感じたのは、この曲は「死者への追悼」のみならず、
「戦争の惨禍」を伝えるものだということです。

聴いた後、敬虔な気持ちになるだけでなく、「戦争の惨禍」を語り継ぐ責任も感じました。

なお、演奏自体も良かったですが、「終演後の長い静寂」も素晴らしい時間でした。
この曲の本質を聴衆の多くが感じたからではないかと思います。

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岡本 浩和

>渡辺様
ご無沙汰してます。
いらしたんですか!
お会いしたかったです。
長い静寂良かったですよね。

※「トリスタン」の音盤長い間ありがとうございます。どこかで機会を持ってお返ししなきゃと思っています。

返信する

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