東京二期会オペラ劇場 フランス国立ラン歌劇場との共同制作 黛敏郎 オペラ「金閣寺」(新制作)

三島由紀夫の誤解は、「認識は人生を変えることはできない。それができるのは行為だけだ」と溝口に言わしめた(第3幕)ことだろう。本来、認識こそ在り方であり、すべて。認識の変容こそが人生を変えるのだと舞台を観ながら僕は考えていた。

ついに三島由紀夫&黛敏郎の「金閣寺」に触れた。
三島の原作とヘンネベルクの台本、そこに黛の音楽という三位一体は唯一無二の、現代オペラの最高峰。宮本亜門の、このあまりに劇的な心理劇を見事に表現する演出の妙。熱い管弦楽の咆哮。すべてが揃った素晴らしい公演だった。言葉がない。いまだ興奮冷めやらず。

父は語る。「神社は大事にされているのに、寺はちっとも大事にされない」と。(第1幕)
あるいは合唱がかくのごとく臨済録の教えを説く。(第2幕)

仏に逢うては、仏を殺せと・・・、祖に逢うては、祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては、父母を殺し、親眷に逢うては、親眷を殺し、そうして初めて解脱を得るだろう。

その言葉に溝口は抵抗するのである。なるほど、三島の、否、黛の「金閣寺」は、釈迦が大涅槃の前に2000年後を予言した 「法滅塵経」の顕現だ。 無法の現代と、信仰を失った現代人への警告。
しかし、破壊という行為によっては真の変容はない。
溝口の好いた金閣寺も、また有為子も、文字通り六道輪廻から逃れることのできない、因果律から逃れられない生きることの苦悩の象徴だ。
認識さえ変えることができれば、法さえ得ることができれば、三島も自死を選ばずとも良かったのだ。

東京二期会オペラ劇場 フランス国立ラン歌劇場との共同制作
黛敏郎 オペラ「金閣寺」(新制作)
原作:三島由紀夫
台本:クラウス・H・ヘンネベルク
演出:宮本亜門
2019年2月22日(金)18時30分開演
東京文化会館大ホール
第1幕&第2幕
休憩(25分)
第3幕
マキシム・パスカル指揮東京交響楽団
二期会合唱団
宮本益光(溝口、バリトン)
高田智士(鶴川、バリトン)
樋口達哉(柏木、テノール)
星野淳(父、バリトン)
腰越満美(母、ソプラノ)
志村文彦(道詮和尚、バス・バリトン)
冨平安希子(有為子、ソプラノ)
高田正人(若い男、テノール)
嘉目真木子(女、ソプラノ)
郷家暁子(娼婦、メゾソプラノ)
前田晴翔(ヤング溝口)
MAOTO(徒弟、米兵、ヤング溝口の分身(ダンサー))、ほか

金閣寺は、溝口の期待した戦争という人為の力では決して滅びなかった。雨風をもってしても消えることがなかった。第2幕最後、鶴川が投身自殺を図る場面の壮絶な音楽の再現に背筋が凍った。黛敏郎の音楽の底力に僕は身震いした。

それにしても休憩後の第3幕の、推進力高い一糸乱れぬ音楽と、クライマックスに向けての演出、そして歌手陣の演技の、混然一体となったステージに頭が下がる思い。金閣寺放火のシーンは、実にリアリスティックであり、猛烈な音楽の発散と合わせ涙もの。

ああ、ああ、お前は寺を焼かねばならない。
焼けて灰となったその梁が、
雪の中から突き出し、
その灰が夏草の中へと飛んで行くだろう。

(黛敏郎訳)

生と死の狭間の感触を何と見事に言い当てる、溝口の言葉であるか。
オペラ「金閣寺」はどうしても舞台に触れたかった。予想通りの、いや、想像以上の素晴らしさだった。神々しいばかりの美しさ。

黛敏郎生誕90年の年に乾杯!

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