感じることを忘れないでいたい。
かつて愛聴した音楽を、またあの日のような感動をもって迎えられるよういつも心掛けたい。
人の心というものは、一所にあると堕落するようだ。新たな方法を求めて誰もが日々努力を重ねるのだろうが、努力も過ぎれば失うものも出てくるのだろう。
「サージェント・ペッパーズ」のリリースの3ヶ月まえにヴェルヴェット・アンダーグラウンドは、ロックと前衛のギャップを埋めていた。
ヴェルヴェッツのあとには、ブライアン・イーノが登場する。・・・(中略)・・・(イーノは)ミニマリストの影響を受けて、「アンビエント」ミュージック―聴き手の意識の端で、重みなく素朴に漂う音楽―というジャンルを普及させた。
影響の連鎖は続く。1971年のロンドンでのグラスの演奏のときにイーノの隣に立っていたのは、新進のロック・スター、デヴィッド・ボウイだった。
~アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽2」(みすず書房)P536-537
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド。西洋音楽の行き着いた先であり、ここがまた次代への発信源だとするアレックス・ロスの分析(=見解)に納得した。活動当時、ほとんど顧みられることのなかった彼らだが、後の音楽シーンに与えた影響は計り知れない。実際、ヴェルヴェッツの残した作品はどれも威光を放ち、聴く者に止めどない衝撃を今も与え続ける。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは基本的に、詩人からやるせないほど退廃的な声を持ったソングライターへと転向したルー・リードと、ラ=モンテ・ヤングの永久音楽の劇場でドローンを弾いたヴィオラ奏者のジョン・ケイルのあいだの、音楽上の対話という形をとっていた。
~同上書P534-535
有名なバナナのアルバム、すなわち「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ」をリリースする前のデモ・テープを聴く。ルー・リードとジョン・ケイル、そしてスターリング・モリスンの3人による飾り気のない、ありのままのアコースティック・ヴェルヴェッツ(この時はまだモーリン・タッカーはグループに合流していなかったのだろう)。
ラ=モンテの永遠に続く五度(「長いあいだ保持すること」)は、「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ」のいたるところに見られる。「オール・トゥモローズ・パーティーズ」のバックでブーンと鳴っているし、ブルースっぽい「僕は待ち人」のしたで調子よく鳴り、「黒い天使の死の歌」の意識の流れのなかにちらちらと揺れる。他の歌はブルース、ロックンロール、そしてティンパンアレーの形式に近づいているが、そこに含まれている感情はフラットで、感傷的なものではない。そこには自由な不協和音がときおり攻撃を仕掛けてきて、しばしば憂いを含むこうした歌がこの無情な権力の気まぐれに耐えて生き残っている、という不安定な気持ちを聴き手に残す。
~同上書P536
この、アレックス・ロスの見事な評をより赤裸々に体現するデモンストレーション音楽の素晴らしさ。
The Velvet Underground Demo Tape (1965.7)
Personnel
Lewis Reed (vocals, guitar, harmonica)
John James Cale (vocals, viola, sarinda)
Sterling Morrison (guitar)
名作「ヘロイン」を歌うリードの陶酔感、バックで響くケイルのヴィオラの持続音の恍惚。生まれたての「ヘロイン」がうねる・・・。
また、デビュー・アルバムではニコがヴォーカルをとる「オール・トゥモローズ・パーティーズ」だが、ここではルーとジョンが仲良くデュオを披露する。しかも、何度もやり直しているシーンをそのまま収録してあるのだ(これもまたミニマル!)。何という感動。
デモ演奏の尺はいずれも長い。
「毛皮のヴィーナス」が15分半、「ヘロイン」が13分半、「僕は待ち人」が10分弱、そして「オール・トゥモローズ・パーティーズ」に至っては何と18分半!!
それはまさに「ミニマリズム」の体現だと断言する。
ちなみに、ルーのハーモニカがフューチャーされる未発表曲「プロミネント・メン」の泥臭い憂愁、そしてピンク・フロイドの「アニマルズ」を髣髴とさせる暗澹たる、同じく未発表曲「ラップ・ユア・トラブルズ・インドリームズ」(ジョンのヴォーカル)の永遠の響きの迫真!
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こういう世界に身を浸していらっしゃると、清原やベッキーなんて、事件でも悪でも何でもないですよね(笑)。
>雅之様
あー、もうほんとその通りで、そういうニュースはどうでも良い感じです。