インバル指揮都響第802回定期演奏会 バーンスタインの「カディッシュ」交響曲ほか

inbal_tokyo_20160324485言葉の難しさと限界を思う。
そこに何を感じ、何を思うかは個々の自由であり、絶対の答はないゆえに。
時代が新しくなるにつれ作曲家があまりに詳細に指示を楽譜に記入したがゆえの、四角四面な窮屈さというのはないものか?
果たして詳細な記譜で創造者が思った、そして感じたそのままを再現できるのか?

束の間の癒し。
音楽を聴く行為は全脳をフル回転させるゆえ、疲れるどころか、逆に大いなる静けさを獲得できる方法だ。しかしその時、できるならば言葉に惑わされてはならない。

インバル&都響のブリテンとバーンスタイン。いずれも深い祈りと瞑想に溢れる美しくも哀しい作品で、インバルの棒は都度閃光を発する如く炸裂し、聴く者を金縛りに遭わせるほどの力をもっていた。
ブリテンの「シンフォニア・ダ・レクイエム」にある分厚い音の洪水。
言葉を持たない祈りの音楽に涙した。第1楽章「涙の日」冒頭の激烈なティンパニの打撃に思わずのけぞった。また、第2楽章「怒りの日」の不気味な響きに感応し、第3楽章「永遠の安息を」におけるその名の通りの安らぎに心奪われた。何という静けさの獲得だろう!

東京都交響楽団第802回定期演奏会Bシリーズ
2016年3月24日(木)19:00開演
サントリーホール
ジュディス・ピサール、リア・ピサール(語り)
パヴラ・ヴィコパロアー(ソプラノ)
二期会合唱団
東京少年少女合唱隊
山本友重(コンサートマスター)
エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団
・ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム作品20
休憩
・バーンスタイン:交響曲第3番「カディッシュ」(1963)
※語りの英語テキストはサミュエル・ピサール版を使用

休憩を挟み、レナード・バーンスタイン渾身の名作「カディッシュ」交響曲。
音楽は真に素晴らしかった。そして、ヴィコパロワーのソプラノ独唱も堂に入っていた。何より優れていたのはジュディス・ピサール氏による語り。夫サミュエルのテキストを言霊に乗せて披露する彼女の力量に感激した。
とはいえ、サミュエル・ピサールの、ホロコーストを扱った哀しみの詩そのものは果たして普遍的なのかどうなのか、残念ながら僕には少々「不自由」に映った。

なぜ罪なき幼い子どもたちがこんな目に遭わなければならないのか?

その通りだ。誰もが持つ感情であることに違いはない。
しかしながら、ここには今生しか見ない人間の弱さもあるのでは?
いや、この言い方は語弊がある。大いなる視点で物事を観なければ・・・。こういうところにこそ言葉と思考の限界がある。
言葉を扱うのは本当に難しい。
ただし、バーンスタインの音楽そのものはどの瞬間も雄弁で人間的だ。そして、命を賭けてそれを再現しようとするインバルと都響の演奏力は桁外れに壮大だ。金管群の意味深い咆哮、打楽器群の怒りに満ちた強打、そして弦楽器群の柔らかい静けさに僕は卒倒した。

「カディッシュ2」におけるソプラノ独唱「子守歌」の崇高さに涙。巧い!
とはいえ、僕の心を一層捉えたのはフィナーレの美しさ。

お父さん、お父さん・・・
あの不思議な春の夜明けを思い出すでしょ?
天国から天使のように
GIが目の前に現れた時、
この地獄から助けてもらえると思ったことを。

リア・ピサール氏の語りも情感籠ったもので素晴らしかった。
ユダヤ人の血がうずくのか、バーンスタインの音楽は浮き、そして沈む(音楽の深み!)。
あまりに感情的なその音楽に哀しみを思った。
そして、終末の熱狂に悲しいかなフライング拍手・・・。「余韻に浸れ」と言いたい。

 

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2 Comments

雅之

>そして、終末の熱狂に悲しいかなフライング拍手・・・。「余韻に浸れ」と言いたい。

相変わらず、そういう輩が跋扈しているんですね。フライング拍手は一種のテロだと思います。

なぜ罪なき聴衆がこんな目に遭わなければならないのか?

返信する
岡本 浩和

>雅之様

>フライング拍手は一種のテロだと思います。

はい、おっしゃるとおりです。
何を勘違いしているのかそういう輩が絶えないことに哀しくなります。

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