好きなことを楽しむということ

takemitsu.jpg日本が誇る名音楽評論家、吉田秀和氏。齢93を越え、いまだその筆は健在で、30年来愛読している「レコード芸術」のコラムなど僕は毎月楽しみにしている。数年前、白水社の「吉田秀和全集(24巻)」が完結し、彼の書いたものはおそらくほぼ全部読んだと思うのだが、音楽に限らず芸術全般にわたる博学さや、決して難しくない柔らかな調子の語り口は、音楽の勉強を専門的にしていない僕にもとてもわかりやすく、重宝している。本当にこんな風に「好き」なことを生業として一生過ごせたらどんなに素晴らしいかと羨ましい限りである。

吉田氏は戦後すぐの混乱期にいち早く見聞のためヨーロッパやアメリカに渡り、当時の西欧クラシック音楽を身をもって体験し、かの地で得た知識を日本に紹介した現代音楽評論家の先駆けである。晩年のフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、トスカニーニ、ワルターなど僕たちからしてみると信じられないような巨匠の生演奏を直に見聴きしている。その体験談は彼の美しい文章としていくつか残されているので、ご興味ある方は読んでみると面白いと思う。

ところで、朝日新聞夕刊の連載に「人生の贈りもの」と題する記事がある。今日から上記の吉田氏がインタビューに答えており、そこに次のようなことが書いてあった。

彼の自宅のトイレには愛読書がいくつか積んであり、中に孔子の「論語」があるという。孔子も音楽好きであったらしく、「レコード芸術」の連載のタイトルも「論語」から拝借したらしい。「不如楽之者(之を楽しむ者に如かず)」-つまり、「知識なんて要らない、とまでは言わないが、知識よりは好きか嫌いかの方が大事だ。そしてさらに、好きか嫌いかより、楽しむことの方が大事だ。

なるほど、確かに。今は「好きなこと」がなかったり、「楽しむこと」ができない人がとても多い。「好きこそものの上手なれ」、「好き」であるがゆえ「続けること」もできるのだ。僕は「好きといえるもの」があって良かった。

武満徹の音楽~映画「黒い雨」、「ホゼ・トーレス」
ルドルフ・ヴェルテン指揮イ・フィアミンギ

武満が旧ソ連のアンドレイ・タルコフスキー監督を偲んで書き上げた名曲「ノスタルジア(弦楽合奏とソロ・ヴァイオリンのための)」が収録されている。武満はメシアンやドビュッシーの影響を受けているようだが、「音楽の創り」そのものには確かにドビュッシーの風味や新ウィーン学派からの影響が感じ取れる。しかし、僕が勝手に感じるに、その「精神性」、つまり内面にもつ「軸」はどちらかというとシベリウス的のようにも思える。北欧の巨匠の「暗く晦渋な」精神性を極東日本を代表する20世紀の作曲家武満徹が受け継いでいるように思えるのだ。

「ノスタルジア」はロシアから亡命してきた詩人が、創作の源泉となる故郷の原風景を忘れられないところから来る心理的葛藤を描く名作。タルコフスキーの映画はどれも水や風、大地、火といういわゆる4大元素がモチーフになっているが、この映画でも効果的に使われている。まさにその「水」や「風」のイメージを上手に音化した武満の本作は、武満が好んだというタルコフスキーへの「愛と感謝」に満ちた傑作である。

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