朝比奈隆指揮NHK交響楽団第1417回定期演奏会(2000.11.3Live)を聴いて思ふ

朝比奈隆の思い出は尽きない。
幾度も聴いた実演は、出来不出来を別にして、その一つ一つが僕の脳裡にリアルに刻まれ、残っている。その記憶は、今後もたぶん風化することはないだろう。

死の前年からその年にかけて、つまり2000年から2001年は、御大にとって最高の、指揮者人生のクライマックスの年だった。東京でのコンサートはいずれもが本当に神がかっていた。例えば、2000年5月25日のNHK交響楽団第1408回定期演奏会でのブルックナー第9番は、終演後のいつ果てるとも知れぬ聴衆の拍手喝采が忘れられない。(貧相な音響のホールであるにもかかわらず)我を忘れて没頭し、終楽章アダージョでは涙が込み上げてくるほど感激した僕がいた。

半年後の2000年11月3日、朝比奈隆は再びNHKホールに登場した。
僕の手もとには、fontecからリリースされた音盤があり、そこでは最晩年の朝比奈の至高のブルックナー演奏が繰り広げられているのだが、残念ながら編集により(ある意味)スポイルされた余所行きの記録になっている感が否めない。

朝比奈隆は実演の人だ。
もう一つ、当日のNHK-FMの生放送エアチェックテープ(DAT)が手もとにある。
まさに未編集の、僕が聴いたその夜の演奏が、そのまま缶詰めにされているのである。久しぶりに耳にして、僕は感極まった。

NHK交響楽団第1417回定期演奏会Cプログラム
2000年11月3日(金・祝)19時開演
NHKホール
山口裕之(コンサートマスター)
朝比奈隆指揮NHK交響楽団
・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(ハース版)

当日の僕の席は最悪だった(2階C18列03番)。音が拡散してしまい、真面に届かず、音楽の輪郭は辛うじてわかるものの、音圧がまったく感じられず、この神々しい演奏を隔靴掻痒の思いで聴いていた。後にリリースされた音盤を聴いたとき、僕は衝撃を受けたが、その時以上の感激がたった今僕のうちに押し寄せている。

音楽の効用は(現代人が忘れ去った)感覚の喚起だと思う。
たとえ音の缶詰であったとしても、一期一会の演奏を再生する意義はとても尊い。
第1楽章から、自信に溢れる、(速めのテンポながら)微動だにしない朝比奈隆のブルックナー。宙から音が湧くように、音楽しか感じさせない驚くべき透明感と自然な流れ。その傾向は、第2楽章アンダンテ・クワジ・アレグレットにおいて一層強くなる。ライヴならではの瑕がほとんどみられないという(さすがに終楽章冒頭にはわずかなとちりがあるが)、NHK交響楽団の技術の高さが証明される驚くべき集中力に脱帽。
訥々と、そして豪快に鳴らされる第3楽章スケルツォを経て、終楽章は圧倒的な「宇宙の鳴動」!僕は思わずのけ反った。前の楽章の楽想が重層的に響くブルックナーならではの方法を、見事に手中にした朝比奈の「ロマンティック」フィナーレは、他を冠絶する完成度。中でも、コーダの、序奏部の再現から徐々に盛り上がり、聴衆を歓喜へと導くシーンは、まるで「解脱」の如し。

例によって、終演後の拍手喝采、歓声は並みのものでなく、いつまでも果てることなく延々と続く。

生前、朝比奈はN響についてこう語っている。
「僕は常々N響の若い人たちに言うんですよ。このオーケストラは普通のオーケストラとは違うのだ。大事にして常に高い水準の演奏を保って、のちの時代に伝えていくのだと。日本の音楽そのものの歴史なのだから。ただ普通のオーケストラに勤めて給料をもらっているのだ、みたいな気持ちではいけない。ベルリン・フィルとかウィーン・フィルの楽員は、長い伝統を自分たちが背負っているのだという自負と責任感を常に意識しています。それがいちばん大切なことではないですか—」
岩野裕一著「朝比奈隆—すべては『交響楽』のために」(春秋社)P117-118

朝比奈×N響のシナジーは特別だった。

 

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