マリア・カラスの、没後40年近くを経てもいまだ変わらぬ別格の人気の理由はどこにあるのか?
ドスが効いているというと語弊があるだろうか?
そもそもの音の重みの違い。それは、感情の表現力とも異なる、いわば根っから魂に響く歌。丹田にまでずっしりと渡る声。ゆえに、いつまでも古くならない永遠。時空を超えるのである。
声を酷使したせいで早々とピークを迎えたカラスの全盛期は意外なほど短い。
しかしながら、だからこそ往時の歌唱は完全なのである。
私は今も一所懸命に働いています。私は難しさに打ち勝つことが楽しみです。挑戦することが好きなのです。人生にもし挑戦して打ち勝つものがなかったら、なんとつまらないことでしょう。
~MOOK21「マリア・カラス―世紀の歌姫のすべて」(共同通信社)P57
すべては、彼女の常に命を懸けた挑戦による賜物。
ヴェルディのヒロインたちⅠ
・「勝利の日に」~歌劇「マクベス」第1幕
・「日の光が薄らいで」~歌劇「マクベス」第2幕
・「消えてしまえ、呪わしいこのしみよ」(夢遊の場)~歌劇「マクベス」第4幕
・「ああ、わたしが見つけた運命の書よ」~歌劇「ナブッコ」第2幕
・「夜のとばりがおりたのに」~歌劇「エルナニ」第1幕
・「世のむなしさを知る神」~歌劇「ドン・カルロ」第4幕
マリア・カラス(ソプラノ)
ニコラ・レッシーニョ指揮フィルハーモニア管弦楽団(1958.9.21&24録音)
「マクベス」からの3曲、特に第4幕「夢遊の場」の歌唱は圧倒的!
血の痕がまだここにあるわ
消えなさい、言ってるでしょ、呪われろ!
一、二時、時間になったわ!
震えているの!
入りたくないの?
戦士がそんなに臆病なの?
おお情けない!
さあ、急ぎなさい!
でも誰が知っていたでしょう あんな老いぼれに
こんなにたくさんの血があるなんて?
~サイト「オペラ対訳プロジェクト」
カラスは演技も堂に入っていたというが、それは、舞台を観なくともその静かながら壮絶な歌い回しで容易に想像できる。何より彼女は音楽に一期一会を求めていたのだから。
舞台ではいつも新しいものを求めなくてはなりません。その方がよりリアルです。私はいつも同じようには動かないので、二つと同じ舞台はありません。署名と同じで、二つと同じものはないのですが、それはいつも「マリア・カラス」なのです。
~同上書P17
マリア・カラスの圧倒的自信に裏打ちされた空前絶後のパフォーマンスに乾杯。
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マリア・カラスとマリリン・モンロー、共に数奇な運命にもてあそばれ謎の死を死を遂げた全然関係ない二人の接点に、ケネディ夫妻の影がちらつくのもミステリアスですね。
>雅之様
いわゆる「黒幕」の存在がチラチラしますね。
裏があっての表ですから、それは当然なのですが・・・。