Massimo Ranieri “25 Anni Di Successi”を聴いて思ふ

massimo_ranieri631相対するものが協同するときに発せられるエネルギーの美しさ。
競争を超え、共演することの癒し。観るものに与えるインパクトは絶大である。

再びモーリス・ベジャールについて。
「ニュイ・ブランシュ・ド・ラ・ダンス」というオムニバスのレーザーディスクに一時はまった。二十世紀バレエ団とキーロフ・バレエとの白夜の競演。そこにはジョルジュ・ドンがいて、ファルフ・ルジマトフがいて、またミシェル・ガスカール、ワディム・グリャリエフがいた。
多くの振付に釘付けになったものだが、中でも「アクア・アルタ」から「恋する兵士」の、他とは風趣の異なる解放感と喜びの表情に感動した。何よりそこには生への大いなる肯定があった。「気楽にいこうよ」という楽観もあった。

あなたがそばにいるだけで幸せです。
私があなたの愛を信じるように
あなたは私の愛を信じるのでしょうか?

果たしてこの音楽は何なのか?
当時は今と違って簡単に情報を得る術がなかったものだから、その後何年もかかってようやく出逢えた時の感激といったらなかった。それは、今も僕の愛聴歌のひとつである。

マッシモ・ラニエリが歌うカンツォーネ「恋する兵士」”O surdato ‘nnammurato”の美しさ。第一次大戦の頃に作られた、遠く離れた故郷の恋人を思う兵士の歌の哀感。
あるいは、聴衆を巻き込んで歌い切るラニエリの包容力。開かれた歌唱の見事さはおそらく類を見ない。

Massimo Ranieri:25 Anni Di Successi

2枚組のベスト盤を聴く。
人と人との分かち合い。何にせよ互いが互いを信じることが大切だ。
各楽曲にある得も言われぬ哀感と憧憬は、日本のいわゆる演歌を凌ぐ。
イタリア国民にとって、地の歌であるカンツォーネは心の音楽なんだということが聴けば自ずと理解できる。
力漲るその声は、実に情熱的。マッシモ・ラニエリは英雄だ。

今宵は、ジョルジュ・ドンによる「恋する兵士」を観ながら悦に入ろう。

 

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