Giant Steps

coltrane_giant_steps.jpgコルトレーンの名盤「ジャイアント・ステップス」の表題曲の意味がようやく理解できた。いや、調性を完璧に体感的にわかっているわけではないので、少なくとも理屈の上では「ああ、そういうことか」と理解したということだ。とにかく50年以上前に、この不世出のサックス奏者はとことん考えに考え、「一番難しいコード・チェンジの組み合わせ(菊地氏談)」を編み出したということらしい。偶々サイトで「ジャイアント・ステップス」の面白い映像を見つけた。何と暇な人がいるのだろう(笑)、「ジャイアント・ステップス」の楽譜を映像で取り込み、音符が音楽に合わせて流れるように作られているから、僕のようなド素人にはうってつけ。それにしても、この曲がいかに難しいか、後半のトミー・フラナガンのピアノ・ソロのもたつきは菊地氏も指摘されておられるが、こうやってじっくり聴くことでそれはそれで「味」になっていることがよくわかるし、ものすごいスピードで転調を繰り返している音楽なんだということがあらためてわかって興味深い。いや、それにしてもなんてかっこいいのだろう。

こういう不思議なワクワク感は久しぶりだ。大昔、初めてクラシック音楽の、例えばフルトヴェングラーのベートーヴェンに興奮したあの頃の感覚。あるいはキング・クリムゾンの「宮殿」やイエスの「危機」に初めて触れたときのあのゾクゾクするような感覚。ついぞ忘れてしまっていたような懐かしいフィーリングが腹の底から込み上げてくるようで、ああ実はこれが「音楽を聴く醍醐味」だったなぁと思い出される。

難しいことを考えず、何となく感性で、感覚で聴くという聴き方もありだと思うが、どんなジャンルの音楽にせよ、きちんと理屈を把握して左脳的に享受することも極めて大事だと僕は思う。特に、クラシック音楽やジャズなどはその歴史的変遷とあわせ、最低限の理論を身につけることで楽しみ方の幅が果てしなく広がるのだ。これだからやめられない。まあ、しかしただ聴くだけでこの騒ぎなのだから、これまでもご指摘を受けている通り、実際に演奏するとなったらより一層器が広がるのだろうな(苦笑)。

John Coltrane:Giant Steps

Personnel
John Coltrane(ts)
Tommy Flanagan, Cedar Walton, Wynton Kelly(p)
Paul Chambers(b)
Jimmy Cobb, Lex Humphries, Art Taylor(ds)

それにしても便利な時代になった。昔、僕が高校生の頃、「動くフルトヴェングラー」を初めて映画館で観たときは卒倒した(笑)。当時はビデオなんていう代物は一般家庭にはまだまだ普及しておらず、日本フルトヴェングラー協会から頒布された「ドン・ジョヴァンニ」のビデオなど何と¥80,000というお値段だったし(欲しくても買えるわけがない)、大学生の頃、青山に住んでいた友人の自宅のリビングにはたいそうなオーディオ・セットが鎮座しており、誰の演奏だったか忘れたがその昔のジャズ・ジャイアントの演奏が映像付きでしかも大音量で流されていたのをとても羨ましく思ったり、何だかあの頃が懐かしい。

ともかくインターネットを開いて検索すれば、ありとあらゆる映像がそこで無料で観れる現代。こういうことが幸せなのかどうか、それはわからないが、少なくとも簡単に様々な音楽を共有できるようになったことは喜ばしいことだろう(逆に音楽を真剣に感知するしっかりした「耳」、というか「聴力」は失っているかもしれないけど)。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>「ジャイアント・ステップス」の面白い映像
いいですねぇ! コルトレーンは本当に最高です。彼のテナー・サックスは、アルト・サックスのような太い音でありながら余人の追従を許さないほどの俊敏さを併せ持つところが、何とも素晴らしいと思います。
>こういう不思議なワクワク感は久しぶりだ。
私も45歳でショスタコに開眼しましたが、いくつになっても音楽には新たな発見をさせられますよね。しかし、昨日もおっしゃっておられましたが、新たにジャズの音盤をどんどん欲しくなるのにも、じつに困ったものですね(笑)。
>難しいことを考えず、何となく感性で、感覚で聴くという聴き方もありだと思うが、どんなジャンルの音楽にせよ、きちんと理屈を把握して左脳的に享受することも極めて大事だと僕は思う。特に、クラシック音楽やジャズなどはその歴史的変遷とあわせ、最低限の理論を身につけることで楽しみ方の幅が果てしなく広がるのだ。これだからやめられない。
そうなんです。自分で演奏に参加し、もう骨までしゃぶり尽くした感のあるベートーヴェンの「運命」についてでさえ、知らなかった発見が未だに多く、驚かされるのです。
※ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」について昨日初めて知ったこと。
・・・・・・第2楽章では、穏やかな空気を引き裂くようにトランペットを中心とした管楽器によるファンファーレが吹き鳴らされる。ここで2本のトランペットがハモっているが、実際に当時のナチュラルトランペットで演奏してみると、もう1つ誰も吹いていない低音が聴こえてくるのだ。これは、「差音」と呼ばれ、両方の周波数の差の振動音が聴こえるというもの。バッハの時代までは、トランペットは3本セットで演奏することが多く、その和音が「三位一体」を表すとされてきたのだが、ベートーヴェンの時代になって2本に減ってしまっても聴衆にはまるで神の声のように3つめの音が聴こえていたのである。・・・・・・佐伯茂樹(著) 「カラー図解 楽器から見るオーケストラの世界」53ページより
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%BC%E5%9B%B3%E8%A7%A3-%E6%A5%BD%E5%99%A8%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%82%8B%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C-%E4%BD%90%E4%BC%AF-%E8%8C%82%E6%A8%B9/dp/4309272185/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1288735340&sr=1-1
強くおススメしたい本です。
この本についての紹介記事
http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/oyaji2/oyaji_98.htm#saeki

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
またまた素敵なご紹介をありがとうございます。
同じく「運命」については骨までしゃぶり尽くしたと僕も思ってましたが、知らないことってあるんですね。というか、僕自身楽器についてフォーカスしながら聴いたことがあまりないように思います。この記事を意識して第5の第2楽章を聴いてみたいと思います。
いやあ、拡がりますね・・・。ワクワクします。(あんまり広げすぎると大変ではありますが・・・苦笑)
ありがとうございます。

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