ウィーンにはもう何回行ったことだろう。初めて訪れたときは感動で卒倒しそうなくらいだった。市立公園を散策し、それまでは写真でしか見たことのなかったブルックナー像やシューベルト像、ヨハン・シュトラウス2世像などを拝み、リンク・シュトラーセを回遊。途中、憧れの楽友協会ホールに立ち寄り、さらに国立歌劇場をバックに写真を撮る。1989年の夏のことゆえ、残念ながらシーズン・オフでコンサートは聴けなかったが、どういうわけかオペラは観た記憶がある(それが確かかどうかも定かでない。何のオペラだったかも思い出せない。ただ、国立歌劇場ではムーティの指揮する「フィガロの結婚」を観た記憶だけが残る・・・。ムーティとはいえ、初めて観る本場のオペラ体験は格別なものだった。今は懐かしい思い出)。
それに、シュテファン寺院の近くのカフェで休憩をとった時、メニューを見て美味しそうなデザートを発見し、それを注文した。アーモンド・ハニー。てっきり杏仁豆腐のようなお菓子が来るのかと期待していたら、出てきたのは何と「アーモンドに蜂蜜がただかけてある一品」。同行した友人と目を合わせ「そのままじゃん!」と思わず爆笑したことがまた懐かしい。
ここのところ、ブラームスについてのいくつかの文献を読んでいると、そこには彼の第2の故郷ともいうべきウィーンについての記述も多いので、久しぶりにあれこれ思い出した次第。最後に訪れてからもう10年以上になる。「また行きたいな」とつくづく思う今日この頃。
Personnel
Keith Jarrett(Piano)
クラシック以外の演奏者が初めてウィーンの国立歌劇場で演奏した時のライブ録音。僕にはかつて、キースのパフォーマンス、それもたった一人で即興で繰り広げたというあの伝説のコンサートの実況録音、そう「ケルン・コンサート」にイカれて、来る日も来る日も聴き続けていた時期がある。それこそ現れては消え、消えては現れるというような、キースの頭の中だけで鳴っていたあの日のその瞬間の音楽を、繰り返し聴くことで「そら」で口ずさめるほどまで刷り込まれてしまった。ともかく「ケルン」は絶対的普遍的価値を持つ音盤であるゆえ、多くの方々に耳にしていただきたい。
その後、キース・ジャレットは1988年のパリ・コンサートを経、1991年7月13日、まさに夏真っ盛りのウィーンの地を踏み、シーズン・オフ中の「国立歌劇場」の舞台で、祈りのパフォーマンスを三度やってのけた。それはその日その時、幸運にもその場に居合わせることができた観客だけが体感できたものだったろう。ひょっとすると、伝説の「ケルン・コンサート」をほとんど上回るような演奏だったのかもしれない。
僕の弱点はキースの実演に触れていないということ。こういう一期一会のインプロ・パフォーマンスこそ「録音」ではなく、その瞬間に身を委ねてこそ真の価値が見出せるのではないか。クラシック音楽に限らずどんな音楽でも実演を聴くことが重要だと思うが、ジャズこそまさに目の前で「観る」音楽なのではないかとこの音楽を耳にしながら考えた。一瞬にして彼の地に想いを馳せ、そんなことを考えさせてくれる決定盤。キース・ジャレット万歳!
おはようございます。
ウィーンは私は1991年に1回行ったきりですが(夏、異常気象で暑かった)、当時とは興味の観点がかなり違うので、また行ってみたいです。
ブラームスとウィーンの飲食店で思い出すのは、ブルックナーとの「赤いはりねずみ」での会食の超有名なエピソードです。ブラームスもブルックナーもこの店の肉団子が好きで、ブルックナーが、「ブラームス博士!この店の肉団子こそ我々の共通点ですな!」と言って、二人が打ち解けたという話、ほほえましくて大好きです(笑)。「赤いはりねずみ」って、ウィーンのどの辺にあった店なんですか?
キース・ジャレットは、昔、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番を、新日フィルとN響で2回実演を聴いたことがあります。まったく正統的な見事なモーツァルトで、チック・コリアのクラシック演奏より、ずっと感動しました。ショスタコのCDも愛聴盤で、私にとっては半分以上クラシックの演奏家となっています。
「ケルン・コンサート」、学生時代に行き付けのジャズ喫茶で、このLPばっかりかかっていた記憶があります。店内の煙草の煙が濃厚だった記憶とともに・・・。
>雅之様
おはようございます。
1991年の夏ということは、まさにキース・ジャレットのコンサートが国立歌劇場で行われた時じゃないですか!(ひょっとすると終わった後かもしれませんが)
「赤いはりねずみ」!(笑)シュテファン寺院の裏手辺りにあったようですよ。それとブルックナーとのエピソードですが、真偽の程はどうなんでしょうか?今回ブラームスの講座をやるにあたり、読んでいたある本にはブルックナーとのことについても触れられており、両者が会話を交わすことはなかったと書かれています。例えば、1885年10月にフランツ・ヴュルナーがブルックナーの第7交響曲の演奏計画を持っていることを聞いて、彼に宛て次のような手紙を書いているということでした。
「大切なことは特に斬新さと、その株価がたまたま高いかどうかということだ。たとえばちょうど今日のブルックナーの作品がそうであるようにだ」この発言を見ると、ブルックナー作品に対してちょっと皮肉っぽく、少なくとも普遍的なものとして受け容れていない感じがしますね。
ところで、キースの実演を2回も聴いておられるのですか!ちなみに、僕は彼のクラシック演奏はCDですら聴いたことがありません。僕にとってはジャズの印象が強烈で、妙な先入観があってほとんど無視していましたから。ショスタコなどは面白そうですね(クラシックの評論家にはあまり評判がよくないですけど)。