ブーレーズ指揮シカゴ響のストラヴィンスキー「火の鳥」ほか(1992.12録音)を聴いて思ふ

stravinsky_ebony_boulez198ピエール・ブーレーズの「火の鳥」を聴いて、久しぶりに手塚治虫の「火の鳥」を思った。ストラヴィンスキーの物語はロシアの民話が本ゆえ、輪廻転生を扱う手塚の漫画とは直接の連関はもちろんない。しかし、音楽を冷静に描写しながら、内側に熱のこもるブーレーズの表現に、手塚治虫が漫画に賭けた信念にどこか通じるものがあるように僕は思ったのである。
西暦3404年、「火の鳥・未来編」のラストはこんな感じで終わる。

人間だって同じだ
どんどん文明を
進歩させて
結局は
自分で自分の首を
しめてしまうのに

「でも 今度こそ」
と火の鳥は思う
「今度こそ信じたい」
「今度の人類こそ
きっとどこかで
間違いに
気がついて・・・」
「生命を正しく
使ってくれるように
なるだろう」と・・・
手塚治虫作「火の鳥・未来編」(角川書店)P281-282

繁栄と衰退を幾度も繰り返し、僕たちは今ここにある。
35世紀を待たずして、今まさに人類の覚醒は起ころうとしている最中だが、火の鳥の内なる思いをひとりひとりが汲み取り実践しなければならないときがいよいよ到来しているのだと僕は思う。

ナディア・ブーランジェが憧れた(恋い焦がれた)イーゴリ・ストラヴィンスキーという音楽家は、革新的な手法を使いながら進化なのか退化なのかわからないほど変化を繰り返し、常に独自の音楽を生み出した。特に、昔日のイディオムを用いながら格闘し、彼らしい新たな作品を世に問うた「新古典主義」といわれる時代の作品たちは、前述の「火の鳥」の言葉同様人類への警告のひとつでなかったか?否、そういう観点から言うならば、彼の音楽はすでに「火の鳥」のときから、「生命を正しく使う」ことを示唆するための啓蒙であったと僕には思えてならない。
以下は、ハーヴァード大学での詩学講座第3課「作曲について」冒頭である。

私たちは、人間の条件が深刻な動揺を被っている時代に生きています。現代人はもろもろの価値の認識やもろもろの関係の感覚を失いつつあります。きわめて重要な現実の奏した無理解ははなはだ由々しきことです。それは私たちを必ずや人間的なバランスの基本法則の違反へと至らせます。
イーゴリ・ストラヴィンスキー著/笠羽映子訳「音楽の詩学」(未來社)P44

現代人の危機はまさに自然の法則に対する無頓着から生じたものだろう。
感覚を取り戻せとストラヴィンスキーは訴えるのだ。その上でさらに、彼はかく語る。

鑑識力を十分引き立たせ、自らを鍛えるだけで自らを明らかにするのを鑑識力に可能とするのは教養です。芸術家は、自らに教養を課し、最後にそれを他者に課すことになります。伝統はそのようにして確立されます。
~同上書P54

自らを信じ、それを他者へと引き継いでいく。まさに他者貢献。おそらく変人であったろうストラヴィンスキーもその論には筋が通る。

ストラヴィンスキー:
・バレエ音楽「火の鳥」
・幻想曲「花火」作品4
・管弦楽のための4つのエチュード
ピエール・ブーレーズ指揮シカゴ交響楽団(1992.12録音)

「火の鳥」は、その音楽を理解するのにバレエを観るのがベストだ。しかし、ブーレーズの演奏は、視覚を超え、音楽だけで物語を十分に描き切る。何という鮮烈さ!何という透明感!そして、猛烈なアタックが映え、何と精緻な表現!
また、三大バレエの予兆を秘める「花火」は、その呼称通り実に幻想的かつ煌びやかで、わずか4分に満たない中に、若きストラヴィンスキーの気概と革新が詰まった傑作のひとつ。
ところで、その昔、若い頃、ブーレーズは確かアンチ・ストラヴィンスキーでなかったか?
歳を重ねて彼の偉大さがわかったのかどうなのか、ブーレーズの(少なくともこの音盤における)指揮には何より愛情が感じられる。

 

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