クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルのブルックナー交響曲第4番(1955録音)を聴いて思ふ

bruckner_4_knappertsbusch_vpo690時代に即して人々の心をつかむのは重要なことだが、それは一方時代に逆行することにもつながる。ビジネスも今(目先)を見ているだけではきっとうまくいかない。一歩先を見据えねば・・・。

おそらくアントン・ブルックナーも(あるいはグスタフ・マーラーも)、本人の意識とは別にその創造精神は一歩どころか二歩も三歩も先行していた。間違いなく一般大衆には理解されないだろうと弟子たちが(余計な?)気を利かせて奮起し、彼独自の崇高な作品に大胆なカットと修正を施した行為は、賛否両論どころか今では「否」が大勢を占めるが、ブルックナー作品がそのお蔭で認知され、後世の受容につながったことを考えると、何が功を奏するのかはわからない。それこそすべてに意味と意義があるのである。

フランツ・シャルクやフェルディナント・レーヴェの仕事を作曲家に対する冒涜だというなかれ。彼らの残したいわゆる「改訂版」にも聴きどころは満載ゆえ。それどころか、ブルックナー音楽の新たな、また違った側面が浮き彫りにされる効果があり、もっと多くの指揮者がこの版を使用して演奏してくれないかと思うほど。まったく別の作品としてとらえること、そしてワーグナー風の味付けがされたブルックナーの何と男性的で勇猛なこと。
分厚いオーケストレーション、幾重にも重ねられた装飾、そのアレンジは強烈なパワーを持った音塊として僕たちの眼前に巨大な姿を現す。

・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(レーヴェ改訂版)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1955.4録音)

一般的に知られる改訂(あるいは改竄)にまつわるエピソードが真実なのかどうかは果たして誰にもわかるまい。いくら精神的に弱っていたとしてもブルックナーが弟子の勝手な行為を看過したとは僕にはどうしても思えないのである。

87年から91年にかけて、「第八」のほか「第四」「第三」「第一」のかなり大幅な手直しが行われている。もっとも「第四」の場合は「第八」初稿の完成に先だって始められているので、レーヴィの件が直接のきっかけではなかった。すでに86年に出版社が決まっており、翌年はじめにはレーヴィの尽力で印刷費も支払われていた。しかしそのままでは出版がはばかられたのであろう、5月に弟子のレーヴェが「作曲者の同意のもとに」改訂を始めた。レーヴェの作成した印刷用原稿は、楽器法と強弱法の夥しい改変によって、すっかりヴァーグナー風の響きに作り変えられていた。このレーヴェ稿は88年1月22日の「ブルックナー・コンサート」でリヒターの指揮により初演された。ブルックナーはその翌月まで原稿を校閲し続けている。しかし一部自発的な変更も加えているものの、心理的に追い詰められた状況での仕事だったため、この改訂自体ははなはだ不本意なものだった。結局ブルックナーはこれを承認しなかった。
土田英三郎著「カラー版作曲家の生涯 ブルックナー」(新潮文庫)P154-155

久しぶりにクナッパーツブッシュのレーヴェ改訂版による演奏を聴いてみて、ここに秘められるパッションとエネルギーに度肝を抜かれた。60年以上も前の録音とは思えない生々しさと熱。例えば、第3楽章スケルツォや終楽章におけるとんでもない短縮、改変も何のその。確かに僕たちの知るブルックナーの世界とは異質だが、そういう荒行を超えて鬼気迫る音楽は聴く者の心を捉えて離さない。何という喜び、何という解放!

クナッパーツブッシュはブルックナーの交響曲に、精神的な力のようなものが宿っていると考えていました。そしてその広大な世界を、悠々とそびえ立つような音響の中に呼び出すことができたのです。
彼の使用していた指揮者用総譜を調べてみるなら、それについて有力な証拠が得られます。総譜にはクナッパーツブッシュ自身によってたくさんの書き込みがされていますが、これらの覚書きは彼がいかに深くブルックナー音楽の神秘に没頭していたかを教えてくれる点でとても興味深いだけでなく、私たちが演奏を味わう際にも、彼の解釈が異論の余地なく「正しい」ことを証明するのです。
フランツ・ブラウン著/野口剛夫編訳「クナッパーツブッシュの想い出」(芸術現代社)P99-100

リハーサル嫌いといわれる稀代の指揮者も相当な勉強、研究をしていたのである。彼の芸術の深みはそのことの賜物であることは間違いない。

 

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3 Comments

雅之

ブログ本文の話題についても、おそらく過去のコメントと重複するので繰り返しません。

ただ、どんな音楽も、その「時代」と呼吸が合うか合わないかだけで評価が定まっていくのだと思っています。

50年前、20年前、現在、10年後、50年後、300年後、1000年後・・・と、この改訂版、この演奏に対する世間の評価は、変化し続けることでしょうね。

音楽は「空気」ですから・・・。

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岡本 浩和

>雅之様

>その「時代」と呼吸が合うか合わないかだけで評価が定まっていく

おっしゃる通り。
音楽に限らず文化とはそういうものですね。
ありがとうございます。

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