クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィルのブルックナー第4番(1944.9.8録音)を聴いて思ふ

クナッパーツブッシュはブルックナーの交響曲に、精神的な力のようなものが宿っていると考えていました。そしてその広大な世界を、悠々とそびえ立つような音響の中に呼び出すことができたのです。
フランツ・ブラウン著/野口剛夫編訳「クナッパーツブッシュの想い出」(芸術現代社)P99

演奏効果だけを考えると、改訂版にこそ分があるのかも(あったのかも)しれない。
金管群の恐るべき咆哮といい、時に雷鳴のようなロールを轟かすティンパニの怒涛のような強打といい、どの瞬間も壮絶な解釈。神事が人事に舞い降りる如くあまりに人間的な音楽は、息も詰まるほどの緊張感を醸す。
例の、デッカのスタジオ録音(1955年)を凌駕する劇性。
アントン・ブルックナーの透明感は影を潜め、人々の心、魂を鷲づかみにする大演奏。

4番目の交響曲が仕上がりました。
(1875年1月12日付、リンツのモーリツ・フォン・マイフェルト宛)
「音楽の手帖 ブルックナー」(青土社)P55

いわゆる第1稿の完成を報告する手紙である。そして、2年後のヴィルヘルム・タッパート宛の手紙には次のようにある。

第4交響曲「ロマンティック」はどうしても徹底的な校訂がとり急ぎ必要であるとの結論に達しました。たとえば、「アダージョ」にはヴァイオリンのパッセージがありますが、これはあまりにも華美で演奏不可能です。また、楽器法が随所で凝りすぎていて落ち着きがありません。この作品を極めて高く評価してくれているヘルベックでさえ同じ意見で、彼のお陰でこの交響曲を部分的に書き直す決意が固まりました。
(1877年10月12日付、ベルリンのヴィルヘルム・タッパート宛)
~同上書P56

改訂魔アントン・ブルックナーの本領発揮。その結果、現在一般的に聴かれる第2稿が生まれる。しかし、初演や再演のたびに第2稿にも細かい改訂が繰り返し施され、最終的に、1890年に出版された際には、フェルディナント・レーヴェが改訂を施した版が採用されることになってしまう。

どういうわけか、クナッパーツブッシュは、レーヴェやフランツ・シャルクら弟子たちが改訂した版を好んでいた。彼の壮大かつ劇的なブルックナー演奏はすべてそれらの版によるものだ。

・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(1878/80フェルディナント・レーヴェ改訂版)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1944.9.8録音)

戦時中は、バーデン・バーデンでの録音。どこをどう切り取っても、厚化粧。
とはいえ、最初から最後まで実に心躍る音響に、僕はこの改訂版にもブルックナーの「真実」を見る。テンポの伸縮、頻出するクレッシェンドとデクレッシェンドの嵐。特に、カットの激しい、そして、楽器法の変更、あるいはシンバルなどが異様に(?)追加される終楽章は、指揮者の内なる浪漫が表出する傑作。
一回性のドキュメント、それならば、版の是非は些細な問題に過ぎないと僕は思う。

なぜなら、クナッパーツブッシュは、改訂版がブルックナーにとっての究極の版であり、この版だけを演奏し続けることをブルックナー自身が望んでいたと考えていたからです。もちろんそれが理由の全てではありません。徹底したロマン主義者であるクナッパーツブッシュは、個人としてもこの改訂版に大変親しんでいました。その点で、彼はある程度までフルトヴェングラーとも共通した認識を持っていました。
フランツ・ブラウン著/野口剛夫編訳「クナッパーツブッシュの想い出」(芸術現代社)P97

ベルリン・フィルとのこの「ロマンティック」の動性は、明らかにフルトヴェングラーの影響下にあるオーケストラとの共同作業によるものだろう(極端なアッチェレランドなどはいかにもフルトヴェングラー風)。

コーダの祈りは、(泣く子も黙る)大宇宙に轟くブルックナーの神への奉仕の体現(大袈裟だが)。

 

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