常識という「枠」

C君が初台でB級映画の会とやらを開催するというのでいそいそと出掛けた。何やらディープな世界に浸れるかとかなり期待して参加したのだが、いやぁ面白かった。
いくつかの前菜のあとのメイン・ディッシュは石井輝雄監督作の「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」。ホラーなのかミステリーなのかギャグ映画なのか、タイトルを聞いただけでは全く見当がつかなかったのだが、普通に楽しく観させてもらった。
1969年上映のカルト的な映画なので、抵抗感ある人には厳しいかもしれないが、映画好きの人なら一度は観てみる価値ありだと思う。僕的には根底に流れているテーマは「人間愛」なのかな、という感想。ただ、表現の仕方があくまで正統派でないのでそのあたりは意見が分かれるところか・・・。

人は「常識」という殻の中に自らを閉じ込めて生きている。今の「常識」は100年前なら「常識」ではなかったかもしれない。あるいはその「常識」が50年後に果たして「常識」として通じるかどうかは神のみぞ知る、である。物事を既存の枠にとらわれず想像すること、そして創造すること。アート(芸術)に限らず、ビジネスの世界でも「壁」を打ち破って初めて「新しいこと」が生まれる(当たり前なのだが)。「是」とするか「非」とするかは後世の人々の「受容する」力に委ねられているといえば委ねられている。上記の石井作品はひょっとすると40年近く経過した21世紀の今の時代に受け入れられるべき傑作なのかもしれない。

ところで、音楽の世界で「常識」破りの破天荒さで当時の人々を驚かせると同時に、末代の現代まで賞賛を浴びる作曲家といえばやはりベートーヴェンをおいて他にいないだろう。例えば、年末のこの時期になると毎年日本ではどこかで演奏されている第9交響曲。今や聴くだけでは飽き足らず、自ら合唱団員として舞台上で歌う輩も多い「人間賛歌」のシンフォニー。ベートーヴェンは最終楽章に型破りの「合唱」をもってきた。

ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付」(1954Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団
エリザベート・シュヴァルツコップ、エルザ・カヴェルティ、エルンスト・ヘフリガー、オットー・エーデルマン

フルトヴェングラーの指揮する第9はバイロイト祝祭管弦楽団盤が最も有名でかつ最も支持される空前絶後の超名盤である。しかし、僕にとってはこの「ルツェルンの第9」といわれるフィルハーモニア盤の方が演奏の出来が良いように感じる。ともかく巨匠が逝くたった3ヶ月前のライブ演奏の実況なのだ。その演奏に木霊する静謐な精神性の結晶化は数あるフルヴェンの第9の中でも特別抜きん出ている。音質も当時のものとしては抜群に良い。

Seid umschlungen, Millionen! 抱き合おう、諸人(もろびと)よ!
Diesen Kuß der ganzen Welt! この口づけを全世界に!
Brüder, über’m Sternenzelt 兄弟よ、この星空の上に
Muß ein lieber Vater wohnen. 父なる神が住んでおられるに違いない

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1 COMMENT

アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » フルトヴェングラーの1954年バイロイト第9

[…] 確かに間違いなくフルトヴェングラーのベートーヴェンである。しかしながらあまりに音が貧弱(わかっていたことだけれど)。修復リマスタリングで辛うじて観賞用として通用する、そんな印象。10代の頃はフルトヴェングラーのすべて、どんな録音でもありがたく拝聴したものだが今となっては・・・。 当時EMIがフルトヴェングラーの第9をリリースするにあたり、1951年のバイロイトの演奏と1954年のルツェルンのものを比較、結果的に51年のものを採用したことがよく理解できる。バイロイトでの記録を聴くなら間違いなく1951年の方を、巨匠の最晩年の第9を聴くなら明らかに8月22日のルツェルン盤の方に軍配が上がる。 […]

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