そろそろ梅雨に入るのだろうか・・・

Led_Zeppelin_BBC.jpg6月に入ってからクラシック音楽を聴いていない。特に意図しているわけではないが、気がつくとロックやジャズやタンゴなど、かつてのめりこんで聴いていたアーティストの音盤を久々に取り出して流していることが多い。何か内に鬱積したものがあるのかどうか、外に向けて発散、発信したいという願望が深層心理にあるのか、クラシック音楽では得られないカタルシスを求めてグルグル周っているような感じだ。それにしても久しぶりに聴く「それぞれ」の音楽は刺激的。ピアソラ然り、コルトレーン然り、もちろんブルース・スプリングスティーンもだ。世の中には様々なジャンルの音楽がある。それぞれのジャンルでは何千、何万という専門家がしのぎを削って、ともかく第一線に出ようと努力をしている。それでもメディアに採り上げられ有名になれるのはほんの一部、氷山の一角に過ぎない。どんな分野の音楽活動にせよ、命を懸けてやり続ける人には敵わない。もって生まれた才能ももちろん重要だろう。運の良さというのもあるかもしれない。それでも、ひとつのことをとことん追求し努力する人が僕は好きである。
夕食を摂りながら、テレビのスイッチをつけると、かつて一世を風靡した有名人の「今」をレポートする番組をやっていた。過去の栄光は今何処・・・?夢破れて新たな目標に向けて頑張る人、ひとつの夢を達成してあらたな挑戦をする人・・・、それでも、誰もが「今」を十分に楽しみ、それぞれの分野でうまくやっている。

Led Zeppelin:BBC Sessions

このBBCのシリーズはどれも侮ることのできない名盤揃いである。この初期ツェッペリンの実況放送など、目の前でリアルに演奏しているかの如くズシリと腹の底に響く音を届けてくれる。彼らのスタジオでのファーストやセカンド・アルバム以上の熱気と説得力をもつ。Robert Plantのヴォーカルも、Jimmy Pageのリード・ギターもスタジオでの気取った記録とはうって変わって、明らかにLed Zeppelinの「生」の音なのである。こういうライブを体感できた(例えば70年代初めの来日公演を体験している人々!!)50代以上の音楽ファンが僕は羨ましくて堪らない。
ところで、渋谷陽一氏のライナーを読むと、Page&Plantで来日した折に、渋谷氏が2人にインタビューをし、ツェッペリンについての質問をPlantが露骨に嫌がり、逆に何でそんなにツェッペリンについて話すのが嫌なのか聞いてみたのだという。
Plant曰く「だって俺は、ツェッペリンで曲書いて、詩を書いて、歌を歌っていただけだもん」と。

このギターのリフ、ドラムのビート感とスピード、ベースのグルーヴ、こうした要素が一体となった巨大な音の存在感、それがツェッペリンなのである。当然そこには人間離れしたロバート・プラントのシャウトが重要なファクターとして加わるのであるが、やはり一要素でしかない。僕等がツェッペリンの曲を口ずさむ(?)時、たいていの場合、歌詞ではなくギターのリフだったり、リズム・パターンだったりするのは、単に英語を喋れないからではなく、僕等にとってのツェッペリンの曲の持つ記号性がそうしたところにこそあるからだ。きっとロバート・プラントはそうしたツェッペリンの特徴を誰よりも強く感じとっていたのだろう。~ライナーノーツ

なるほど、おっしゃるとおり。ツェッペリンの曲を思い出すとき、必ず頭に鳴り響くのはヴォーカル・ラインではなくギターのリフだったり、リズム・パターンだったりする。その意味では4人でひとつの「塊」であり、他の誰も代役として機能し得ない不世出のバンドであったことがよく理解できる。

明日は1日セミナー。きっと良いものになるでしょう。


5 COMMENTS

雅之

こんばんは。
>Plant曰く「だって俺は、ツェッペリンで曲書いて、詩を書いて、歌を歌っていただけだもん」
PageもPlantも、解散後、ツェッペリン時代とすぐ比較されるのは嫌なものでしょうねぇ。森次浩司が「ウルトラセブン」後、どこに行っても、どんな役をやっても「モロボシ・ダン」と呼ばれて困惑したように・・・。
ご紹介のライヴは持っていませんが、入手したいです。ツェッペリンのライヴが凄いのは映像などでの体験でも、容易に想像できますので・・・。
ところで、ツェッペリンといえば、映画「永遠の詩」でPageが目を光らせて弾いていた「ハーディ・ガーディ」というヨーロッパの擦弦民族楽器、ご存じですか?(Page&PlantのDVD映像「ノー・クォーター 」でも観ることができます)
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/8316/inst/general.html
先日行った浜松市楽器博物館で、初めて実物を見ることができました。
じつに不思議で神秘的な音の出る楽器です(なお、この楽器は弓は使用せず、右手でハンドルを回しながら左手で鍵盤を弾くので、ポルタメントは不可能ですが・・・)。
http://www.meikyokuzukan.com/d3forum+index.topic_id+896.htm

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雅之

昨夜サッカーのワールドカップの最終予選を息子と観ながら、「ながら」でコメントを書き、すこし書き足りない部分がありましたので補足コメントします。
※参考サイト情報(2)
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/8316/index.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002VL6RS/qid=1132090585/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/249-9038844-6441967
>それにしても久しぶりに聴く「それぞれ」の音楽は刺激的。ピアソラ然り、コルトレーン然り、もちろんブルース・スプリングスティーンもだ。世の中には様々なジャンルの音楽がある。
世界中のあらゆる音楽のジャンルについて、対等に考えなければならないのは当然です。皆複雑に影響し合って発展してきたのですから・・・。音楽にも、生態系があると言っても過言ではありませんね。
1日セミナー、ご成功をお祈りいたします。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>森次浩司が「ウルトラセブン」後、どこに行っても、どんな役をやっても「モロボシ・ダン」と呼ばれて困惑したように・・・。
確かに(笑)。
ツェッペリンのライブは映像も含めてどれも最高ですね。数年前にリリースされた3枚組(だったかな?)のDVDなど人類の至宝だと思えるほどです。
>映画「永遠の詩」でPageが目を光らせて弾いていた「ハーディ・ガーディ」というヨーロッパの擦弦民族楽器
はいはい、覚えてます。ただし、「ハーディ・ガーディ」という名だとは知りませんでした。ご紹介いただいたYou Tubeでのソロ演奏は興味深いですね。あと、Page&PlantのDVD映像「ノー・クォーター 」は観ていないんです。どうもツェッペリンはツェッペリンでという先入観がありまして・・・。このDVDはぶっちゃけどうなんでしょうか?雅之さんがおススメだとおっしゃるならこれは観ないとと思うんですが。
ハーディ・ガーディの参考サイトのご紹介ありがとうございます。勉強になります。

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雅之

>Page&PlantのDVD映像「ノー・クォーター 」は観ていないんです。どうもツェッペリンはツェッペリンでという先入観がありまして・・・。このDVDはぶっちゃけどうなんでしょうか?
John Paul Jones やJohn Bonham のいないツェッペリンなど考えられませんから、そういう意味では観る必要はないのかもしれません。でも私は、その後のPageやPlantの活動にも興味がありましたので、このDVDを観て大いに感銘を受けることができました。
「ハーディ・ガーディ」という楽器について更にコメントの続きを・・・。
私が愛するシューベルトの最高傑作のひとつ、連作歌曲集 「冬の旅」(Wilhelm Mueller 作詩 24曲) D911, Op.89 (1827)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E3%81%AE%E6%97%85
の終曲で、“Leiermann” 老「辻音楽士」がdreht er, was er kann.「廻して」いる「手廻しライアー」が、おそらくこの「ハーディ・ガーディ」だろうといわれていることに気が付いたのは、ほんの2,3日前です。
24. Der Leiermann
Drüben hinterm Dorfe steht ein Leiermann
Und mit starren Fingern dreht er, was er kann.
Barfuß auf dem Eise wankt er hin und her
Und sein kleiner Teller bleibt ihm immer leer.
Keiner mag ihn hören, keiner sieht ihn an,
Und die Hunde knurren um den alten Mann.
Und er läßt es gehen alles, wie es will,
Dreht und seine Leier steht ihm nimmer still.
Wunderlicher Alter, soll ich mit dir geh’n?
Willst zu meinen Liedern deine Leier dreh’n?
24.辻音楽師
村外れに一人の辻音楽師が立っている.
こわばった指で,弾けるだけのものを回している.
氷の上で,右へ左へと裸足の足を踏む.
そして,彼の小さな皿は空のままだ.
誰も彼を聴こうともしないし,見ようともしない.
犬たちがその周りを嗅ぎまわる.
そして,彼はそれをなすがままにしている.
回しつづける.
ハーディー・ガーディーは止まらない.
不思議な老人よ,
お前のお供にしてくれるか?
私の歌にあわせて,お前はハーディー・ガーディーを回してくれるか?
(訳詞:森 章吾 引用⇒下記アドレス サイトより)
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/shogo_mori/d911/d911-top-frame.html
「クラシック音楽馬鹿」にならず、本当に何事も視野を拡げて全方位で見る必要があるものだと、この件では身をもって経験させられました。まったくジミー・ペイジやツェッペリン「さまさま」です。「冬の旅」の実演を100回聴こうが、同曲のCD、LPを何百枚所有していようが、シューベルトをこよなく愛するクラシック・ファンや音楽評論家の多くは、昔から出回っている一般的な「辻音楽師」の曲解説やCD,LPの対訳にある、「手廻しオルガン」「ライアー」「オルゴール」などの表記について、深く追究することを怠っていると思います(音大を卒業し「冬の旅」を実際に歌ったことのある声楽のプロでも、そういう人、けっこう多いのでは?)。私も数日前まで、長年ずっとそうでした。でも、この歌詞を真に理解するには、「ハーディ・ガーディ」の楽器や音色などについての知識が絶対に必要だと、その事実を知った今なら思えます。異文化に接する場合、似たようなことは無数にあるのでは?
岡本さんにその素晴らしさを教えていただいたブラームスのピアノ・ソナタ第3番の件といい、何事も一生勉強が必要だと、ここ数日強く実感しています。
そういうことを考える契機を与えていただいた岡本さんのブログには、感謝の極みです!!

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
>その後のPageやPlantの活動にも興味がありましたので、このDVDを観て大いに感銘を受けることができました。
確かにそれは僕も大いに興味ありです。そういう観点では観るべきですね。わかりました、ありがとうございます。
>「手廻しライアー」が、おそらくこの「ハーディ・ガーディ」だろうといわれていることに気が付いた
なるほど!僕も今初めて気がつきました!間違いないですね、それは!
>「クラシック音楽馬鹿」にならず、本当に何事も視野を拡げて全方位で見る必要がある
>異文化に接する場合、似たようなことは無数にあるのでは?
おっしゃるとおりです。あらゆる音楽、あらゆる文化を享受して初めて「わかる」ことってありますものね。360度見渡すことって大事です。
こちらこそいろいろと感謝します。一生勉強です。ブログをやっててよかった、雅之さんとめぐり合えてよかったと思います。

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