学力

15歳の学力調査で日本人の「数学」や「科学」などの応用力が軒並み落ちているという。確かに子どもの数が減るにつれ、大学や高校の入学試験の難易度そのものが低くなっているのだろうし、ちょっと前の「ゆとり教育」といわれるものの影響、そして実質的な勉強時間が減ったことで、子どもたちの学力が単純に落ち込んでいるのだろうということは推測できる。
しかし、15歳の時点の学力というのは人生を左右するほど大きな問題なのだろうか?
僕自身高校入試や大学入試を体験し、その当時の勉強の仕方を振り返ってみても、今になって残る知識はほとんどないのは明らかだし、受験のために詰め込むだけの勉強は全く意味がないということは大人であれば誰もがわかっているはずなのに。

30歳を越えた頃、いわゆる古典文学や哲学書、科学書などに触れる機会が増え、勉強するということに対してとても前向きに捉えられるようになった。何だか出逢う思想や言葉一つ一つが身に染み、現実の仕事や恋愛や人間関係に直結するヒントを与えてもらえる喜びを直に感じられる、そういう楽しみを見出したのだろう。それは40歳を越えてますます強くなった。よく考えれば当然のことで、ある程度の社会経験を積まない限り、書いてある事実を含め、作家の真意などを理解することは到底不可能だからだ。そう考えると18歳頃の勉強なんていうのは「強制」以外の何ものでもなく(自らが自らに課したという意味で)、学力調査で応用力が続落したといってもそんなに嘆くことではないのではないかと思えるのである。

フランク:交響曲ニ短調(1888)
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

セザール・フランクは幼くしてピアノの才能を示し、子どもの頃から英才教育を受けたベルギーの作曲家である。若い頃はピアノ教師、教会オルガニストとして生活の糧を得、慎ましい生活を送っていたという。しかし、63歳を越える頃から例の有名なヴァイオリン・ソナタや交響曲という傑作を突如産み出し、俄かに注目を浴びるようになった。
このデュトワの指揮するニ短調交響曲は、本来暗鬱とした調子の楽曲にもかかわらず何だか妙に「明るさ」を感じさせる軽快な演奏である。軽快といっても、決して駄演ではない。巨匠フルトヴェングラーを上回るほどの名演奏なのである。

人間は誰しも潜在的に知識や知恵を溜め込むものだと思う。早い時期に開花する人もいれば晩年になってから開花するという人もいる。時期の問題ではない。常に自分ができることに対して努力を惜しまずやり続けたかどうかなのである。

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