クレンペラー指揮フィルハーモニア管のブルックナー交響曲第4番(1963.9録音)を聴いて思ふ

東京の夜空には星が少ない。
空を見上げたら、雲の間に光るひとつの星があった。

あまりにも純粋で、その意味ではとても危なっかしくて、弟子たちは厚意から手を入れたのだと思う。

いかにも主観的。あまりに情熱的な音塊の放出がどこかブルックナー的でないと言えばそうなのかも。しかし、「~的」という形容そのものが実にナンセンス(そんなものは誰が決めたことなのだ?)。

ノヴァーク版と謳われていても、その造りにはどうみてもレーヴェら弟子が装飾したいわゆる改訂版の解釈が相見える。おそらく、指揮者はブルックナーを後期ロマン派の最後の砦と捉えていたのだろう。

50年代以降、クレンペラーは音楽界の大物、ドイツ・オーストリアのオーケストラ・レパートリーの決定的演奏家、とくにベートーヴェン、ブルックナー、マーラーの交響曲の権威となった。クレンペラーの演奏では、大造りの構成と生き生きとした細部が、紛いようのない彫塑性と緊張感で結びついている。彼は主観を抑え、フルトヴェングラーの呪縛性ともバーンスタインの告白性とも無縁だった。圧倒的な明晰さと一貫性により、彼はどの時代の傑作も、わざとらしさを排して、その現代性を実在のものにしたのだ。
E・ヴァイスヴァイラー著/明石政紀訳「オットー・クレンペラー―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(みすず書房)P205

ナディア・ゲーアは前述のようにクレンペラーの音楽に客観性を見ているようだが、少なくともこの作品に関してはそうとはいえまい。フルトヴェングラーに近い呪縛性があり、また、バーンスタインに似た告白性があるように僕は思う。

・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(ノヴァーク版1886年稿)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1963.9.18-20&24-26録音)

第1楽章は特に熱がこもり、音楽がうねる。何という浪漫!
また、第2楽章アンダンテもクライマックスに向け、訥々と、しかし華麗に音楽が歌われる。肉感的なブルックナー。そして、躍る第3楽章スケルツォを経て、白眉は終楽章。テンポを揺らしながら、音楽は怒涛の煌めきを獲得し、最初の頂点に至る。低弦がうなり、高弦は泣き、木管群が歌う。金管群の咆哮は出色。

ラファエル・クーベリックのクレンペラーに対する評を引こう。

それは力と集中の啓示、(・・・)精神的なものへの変容でした。そして、彼がたいへんな苦しみに陥っていた苦難の時期に見せたこの内なる力を通じて、精神は肉体より強いということが、彼のばあいは、ほかのだれよりも示されるのです。
~同上書P222

誰よりも強かった俗物根性が彼の生命を長らえさせたことは間違いない事実だと思う。
しかし、それには一方で聖なる音楽に仕える精神の頑強さが重要だった。
オットー・クレンペラーのブルックナーは熱い。

 

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4 COMMENTS

雅之

私は田端に住んでいたことがあって、芥川龍之介に思い入れが強いのです。

http://www.kitabunka.or.jp/tabata/

芥川龍之介 「侏儒の言葉」より

修身

 道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。
    *
 道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約である。道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺である。
    *
 みだりに道徳に反するものは経済の念に乏しいものである。みだりに道徳に屈するものは臆病ものか怠けものである。
    *
 我我を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。我我はほとんど損害の外に、何の恩恵にも浴していない。
    *
 強者は道徳を蹂躙するであろう。弱者は又道徳に愛撫されるであろう。道徳の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。
    *
 道徳は常に古着である。
    *
 良心は我我の口髭のように年齢と共に生ずるものではない。我我は良心を得る為にも若干の訓練を要するのである。
    *
 一国民の九割強は一生良心を持たぬものである。
    *
 我我の悲劇は年少の為、或は訓練の足りない為、まだ良心を捉え得ぬ前に、破廉恥漢の非難を受けることである。
 我我の喜劇は年少の為、或は訓練の足りない為、破廉恥漢の非難を受けた後に、やっと良心を捉えることである。
    *
 良心とは厳粛なる趣味である。
    *
 良心は道徳を造るかも知れぬ。しかし道徳はいまだかつて、良心の良の字も造ったことはない。
    *
 良心もあらゆる趣味のように、病的なる愛好者を持っている。そう云う愛好者は十中八九、聡明なる貴族か富豪かである。

https://www.amazon.co.jp/%E4%BE%8F%E5%84%92%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%91%89-%E8%A5%BF%E6%96%B9%E3%81%AE%E4%BA%BA-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%8A%A5%E5%B7%9D-%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B/dp/410102507X/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1495051196&sr=1-2&keywords=%E4%BE%8F%E5%84%92%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%91%89

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岡本 浩和

>雅之様

「おれはこの女を愛してゐるだらうか?」
彼は彼自身にかう質問した。この答は彼自身を見守りつけた彼自身にも意外だった。

7年間愛し合い、死ぬ直前に書いた「或阿呆の一生」で「未だに愛してゐる」と確認できた事実が、芥川にも「意外だった」のだ。・・・中略・・・「或阿呆の一生」は完璧な時系列にしたがって書かれてはいないので、芥川と豊の初めての密会が大正八年の秋以降にあり、それ以後、「或阿呆の一生」を脱稿した昭和2年6月20日まで芥川の豊への愛はつづいていたことになる。
「第3章 芥川龍之介の恋」
川西政明著「新・日本文壇史・第1巻」(岩波書店)P57-P58

ちなみに、大正9年4月10日に、長男比呂志が誕生しています。
要は、野々口豊との恋愛は、妻の妊娠中のことですね。
そして、ほぼ同時期に龍之介には秀しげ子という恋人がありました。

翌日(大正8年6月11日)、しげ子のもとに芥川の書簡と著書が届いた。そして3ヶ月後に芥川はしげ子と姦通した。・・・(中略)・・・このように龍之介はたしかに姦通した。初回の対面でしげ子に「愁人」の言葉を捧げた。一目惚れと言えよう。そのしげ子には夫があった。
~同上書P69-71

芥川龍之介は大変な絶倫だったようです。
「侏儒の言葉」と対比すると実に興味深いです。

返信する
雅之

ひとつには、明治・大正・昭和と移ろうとともに、性愛の常識自体の変遷がありますよね。芥川龍之介が生きた時代は、過渡期だったんじゃないかとも思います。

「源氏物語」の昔以前から、日本は元来、乱れた?性には寛容だったわけで、「二号」とか「妾」も、昭和時代までは死語ではありませんでしたよね。江戸時代までは、大名などを中心に、一夫多妻が当たり前のようにありましたしね。

「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」 赤松 啓介 (著)  筑摩書房

https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%9C%E9%80%99%E3%81%84%E3%81%AE%E6%B0%91%E4%BF%97%E5%AD%A6-%E5%A4%9C%E9%80%99%E3%81%84%E3%81%AE%E6%80%A7%E6%84%9B%E8%AB%96-%E8%B5%A4%E6%9D%BE-%E5%95%93%E4%BB%8B/dp/4480088644/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1495100780&sr=1-1&keywords=%E5%A4%9C%E9%80%99%E3%81%84%E3%81%AE%E6%B0%91%E4%BF%97%E5%AD%A6

「盆踊り 乱交の民俗学」 下川 耿史 (著)  作品社

https://www.amazon.co.jp/%E7%9B%86%E8%B8%8A%E3%82%8A-%E4%B9%B1%E4%BA%A4%E3%81%AE%E6%B0%91%E4%BF%97%E5%AD%A6-%E4%B8%8B%E5%B7%9D-%E8%80%BF%E5%8F%B2/dp/4861823382/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1495107535&sr=1-1&keywords=%E7%9B%86%E8%B8%8A%E3%82%8A%E3%80%80%E4%B9%B1%E4%BA%A4%E3%81%AE%E6%B0%91%E4%BF%97%E5%AD%A6

これらの本、たしか前にもご紹介しましたっけね? すっかり忘れてしまいましたが(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

夜這いというのは僕の世代ではもはや死語になっていると思いますが、少なくとも戦前、いや、戦後でも山村なんかでは風習として当たり前のようにあったと言われますよね。
西洋化と共にそういうものも姿を消していったのだと思いますが、生きものの種の存続本能から考えると、否定のできない当然の風俗なのでしょう。
ご紹介の書籍は以前に教えていただいたものかどうか忘れましたが、面白そうなので読みたいと思います。
それにしても大正から昭和にかけての文学というのはそういう風習が見事に反映されていて、勉強になります。
ありがとうございます。

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