カスパルス・プトニンシュ指揮ラトヴィア放送合唱団

人の声というものが、邪念を払拭し、一つの作品に集中したときに、これほどまでに崇高で愛ある音楽になることを痛感した。無伴奏であるがゆえの赤裸々な、また、4声部が時に9声にまで拡がるがゆえの声の重厚さと神秘さに息を飲んだ。

ミニマル音楽は刺激的だ。フィリップ・グラスの、まるで水が滔々と流れる様を描くようなヴォカリーズ。わずか10分ほどの「永遠」は、突如としてぷつりと途切れ、終焉を迎える。その唐突さが、ほとんど生命活動と相似であり、蠢く音の一粒一粒と同期する鼓動に感動を覚えざるを得なかった。そういえば、人の身体は70%が水分だ。その水面に反射するかのように3つの管楽器が寄り添った。妙なるアンサンブルが繰り出した恍惚の調べ。
そして、あっという間の、6,7分の、アルヴォ・ペルトによる祈りの歌。無伴奏混声合唱による美しい歌は実に貴い。

我は唯一の神を信ず
全能の父にして、天と地の創造主、見えるものと見えざるものすべての創造主を
我は唯一の主、イエス・キリストを信ず

よもや人間の声とは思えぬ、重層的な調べ。
ラトヴィア放送合唱団の見事なコーラスに冒頭から惹きつけられた。

すみだトリフォニーホール開館20周年
ラトヴィア放送合唱団
2017年5月22日(月)19時開演
すみだトリフォニーホール
若林かをり(フルート)
大石将紀(ソプラノ・サクソフォン)
田中拓也(テナー・サクソフォン)
カスパルス・プトニンシュ指揮ラトヴィア放送合唱団
・グラス:「コヤニスカッツィ」より「ヴェルセルズ」(1982)
・ペルト:スンマ(1977)
休憩
・ラフマニノフ:徹夜禱(晩禱)作品37(1915)
~アンコール
・ラトヴィア伝承歌”I Was Born Singing”

後半、短い祈禱文からラフマニノフの徹夜禱が始められた。
この、50分近いミサの音楽は、ギリシャ聖歌やキエフ聖歌、またズナメンヌイ聖歌を基とし、作曲者の自作を織り交ぜながら信仰心を新たにする美しいものだが、まさに目の前で繰り広げられる崇高な合唱に終始瞠目させられた。
なるほど、こういう作品は、現場にいずして語ることは難しい。否、コンサートホールという俗世的空間においては本当は違和感がある。ただし、少なくともラフマニノフの作となる第1曲「来たれ我らの主、神に」や第3曲「悪人の謀に行かざる人は福なり」、あるいは第6曲「生神童貞女や喜べよ」などは、実にポピュラーな旋律を擁し、作曲家の意図からか、とても聴き易くとっつき易い印象を僕は持った。
特に、第10曲「ハリストスの復活を見て」以降の、無心で祈りを発する24人の合唱団のパフォーマンスに人智を(肉体を)超えた讃歌を感じたのは僕だけだろうか。素晴らしかった。

ところで、アンコールはラトヴィアの伝承歌だそう。
本編より一層輝きを増していたこの歌こそ、合唱団の本懐なのかも。張り裂けんばかりの喜びに満ちた音楽が、そのことを物語っていた。

戦火激しかった20世紀に生み出された、生きとし生けるものを安息に導くような祈りの歌たちは、21世紀の今も人々の魂を癒す。

 

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2 COMMENTS

雅之

>こういう作品は、現場にいずして語ることは難しい。

現場にいずして本文を読んだ感想はただひとつ。

死ぬまでに、いつか合唱団に参加して、どんな曲でもよいから歌ってみたいものです。

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