1975年3月22日のカール・ベーム!

bohm_1975.jpgこの2月末に愛着あるオーディオ装置一式を寄贈くださったO氏から貴重なカセット・テープをお借りした。カール・ベーム&ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団1975年の初来日公演のNHK-FMによる実況中継から3月22日の公演と同月25日の公演から抜粋したもの。生放送ゆえ一切の化粧が施されていないいわゆる未編集の音源で、当日の熱気そのものまでもが記録されており、一聴身震いを感じたほど。ともかく当時のベームは最高の人気を誇っていた時期で、聴衆の熱狂振りもさることながら、その演奏の「熱さ」は特筆に価する。後に一般発売されたCDに比べて、下手にいじられていない分、音質的にも音楽的にも圧倒的に素晴らしい。

せっかくなので、DATにコピーし、さらにそれをCD-Rにダビングした。少なくとも僕の装置では生々しい音楽が奏でられており、ことによると当日デッドなNHKホールで聴くより良い音がしているのではないかと思わせるほどである。小学校4年生のちょうど終業式頃だった僕にしてみれば、クラシック音楽の「ク」の字も知らない頃で、音楽評論家諸氏からの評価も高かった(貶す評論家も一部いらっしゃるように思うが)75年の来日公演を、おそらく最も原音に近い音で追体験できるのが嬉しい。

まずは、3月22日(偶然だが、ちょうど僕の11歳の誕生日である)のコンサートから前半の2曲。

・ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番作品72a
・ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(NHKホール)

老ベーム登場時の万雷の拍手喝采。一世一代のこの録音から聴き取れる「熱気」たるや言葉に表し難い。厳かな様相で「レオノーレ」序曲が始まり、ゆっくりと一歩一歩前進するかのような重い足取りは、60年代壮年期のベームの実演を知る者には「随分老けた」という印象を与えたらしいが、34年の時を経て冷静に聴いてみても、その演奏から放出されるエネルギーは半端でなく、要は音楽というものが「演奏者と聴衆との対話」であることが明らかにわかる。ウィーン・フィルの緊張感、そして、固唾を呑み、一音たりとも逃すまいと聴き惚れるオーディエンスの様子が手に取るように伝わるのだ。
ストラヴィンスキーも空前絶後だ。何より、演奏者が一層興に乗り、推進力抜群の演奏を披露してくれる。終演後の爆発的な拍手と「ブラヴォー!」の嵐が余計に感動を呼ぶ。願わくば、この日の後半に演奏されたブラームスの第1交響曲を聴きたいものだ。放送当日の実況中継ゆえ、もちろんFMでは放送されたのだろうが、O氏の手元にこの録音が残っているのだろうか?聴きたい、とにかく聴きたい(ところで、今回のテープでは懐かしき大木正興氏の解説が聴ける。FM放送ならではである)。
ちなみに、25日の公演についてはまた後日書くことにする(なお、3月16日の公演の一部は以前O氏が来宅した折に少し聴かせていただいている。これも圧倒的な名演奏だった)。

日本列島を騒がせた嵐(台風)があっという間に過ぎ去った。お昼になる頃には真っ青な空に変容し、昨日までの天気がまるで嘘のように感じられるほど清々しい(ただし、完全には浄化され切ってないようで、まだまだ空気が重いが)。明日は大学のキャリア講座初日。さて、どんなものか・・・。


3 COMMENTS

雅之

おはようございます。
そうですよよね、あのころエアチェックしたカセットやオープンって、本当に凄い音が入っていたと思います。
ベームの素晴らしさを知らない人とは、私は音楽を語りたくありません。お会いしたことはありませんが、Oさんは、絶対に、真に音楽を理解されている方です!
>貶す評論家も一部いらっしゃるように思うが
誰ですか? ひょっとしてあの人? ベームの演奏の真価も理解出来ないないなんて、可哀そうな評論家ですねぇ! お気の毒なことです。(これは信念に基づいた発言です!!)
我々の世代のクラヲタが、すぐ過去を振り返るのは何故でしょう?
このごろ思うんですが、好きな音楽を聴く時、曲や演奏の素晴らしさと同時に、半分は、その音楽をよく聴いた当時の思い出を懐かしんでいるのだと思います。
例えば私の場合、ベームの1980年来日公演は、デートの甘酸っぱい思い出と不可分に結び付いています。
私も通読を挫折し、部分的にしか読んだことはありませんが、音楽体験とは、まさに先日の岡本さんの日記で触れられていた、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」のようです。
http://classic.opus-3.net/blog/cat29/post-241/
・・・・・・記憶と時間の問題をめぐり、単に過去から未来への直線的な時間や計測できる物理的時間に対して、円環的時間、そしてそれがまた現在に戻ってきて、今の時を見出し、円熟する時間という独自の時間解釈、「現実は記憶の中に作られる」・・・・・・(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%99%82%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%A6
そんなことを、ふと思いました。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>あのころエアチェックしたカセットやオープンって、本当に凄い音が入っていたと思います。
当時のエアチェックテープを全て破棄してしまった今となっては後悔してもしきれません(涙)。
>誰ですか? ひょっとしてあの人? ベームの演奏の真価も理解出来ないないなんて、可哀そうな評論家ですねぇ! お気の毒なことです。
ご想像にお任せします(笑)。
>その音楽をよく聴いた当時の思い出を懐かしんでいるのだと思います。
同感です。それと多感な時期の音楽体験はやっぱり後々まで影響を与えますよね。各々の原点になっていると思います。
>それがまた現在に戻ってきて、今の時を見出し、円熟する時間という独自の時間解釈、「現実は記憶の中に作られる」
良い表現ですねぇ。プルースト、いつの日かもう一度、今度はしっかりと読破したいものです。

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