ディースカウ&デームスのベートーヴェン「遥かなる恋人に寄す」(1966.4録音)ほかを聴いて思ふ

ベートーヴェンの歌曲は残念ながら舞台にかけられる機会がとても少ないように思う。
彼の歌曲が、彼の器楽作品に比べて魅力に欠けるとは思えないのだが、心に残る旋律が決して多くないことは確かだ。

そもそもベートーヴェンは、声楽の基本である旋律美を重視しなかったらしい(あるいはシューベルトのように「歌」を生み出す才能に欠けていたのかも)。どちらかというと彼は、主題や動機を巧みにコントロールし、聴き手に感動を与える構築の美というものを追求したゆえ。

フィッシャー・ディースカウの歌うベートーヴェンを聴いて思った。
何て理知的で味わい深い「歌」であることか。
ベートーヴェンは、詩に寄り添うように、というか詩をメインに音楽をサブに、つまりあくまで詩を主体に作品を創造した。彼は言葉を大事にしたのだ。

フリードリヒ・フォン・マティソンの詩による「アデライーデ」作品46は優しく美しい。イェルク・デームスのピアノによる前奏の可憐な響き。フィッシャー=ディースカウの、いつになく感情のこもった歌唱が頼もしい。

お前の友はただひとり春の花園をさまよっている、
揺れ動く、花咲く枝ごしにふるえている
やさしい魔法の光にふんわりと包まれながら、
アデライーデよ!
(対訳:西野茂雄)

また、「ゲレルトの詩による6つの歌」作品48は、パトロンであったブラウン伯爵夫人の不慮の死をきっかけとして作曲されたといわれるが、確かに、各曲に漂う哀しみの表情が聴く者の心に迫る。短い第1曲「祈り」の静かな慈しみ。

神よ、御身の仁慈は広大にして
雲のはてまでもひろがる、
御情によりてわれらに栄えあらしめ、
主よ、わが砦、わが巌、わが宝よ、
御身の前に祈る者のこのねがいをきき給え、
この言葉、御心にとめさせ給え。
(対訳:西野茂雄)

あるいは、第4曲「自然における神の栄光」の、荘重なピアノの響きと堂々たる歌、同時に声を潜めて歌う自然を讃える中間部の心打つ美しさ。

ベートーヴェン:
・歌曲「希望に寄せて」作品32(1805)
・歌曲「アデライーデ」作品46(1795-96)
・ゲレルトの詩による6つの歌作品48(1802)
・ゲーテの詩による3つの歌作品83(1810)
・歌曲「友情の喜び」作品88(1803)
・歌曲「希望に寄せて」作品94(1815)
・歌曲集「遥かなる恋人に寄す」作品98(1816)
・アリエッタ(口づけ)作品128(1798, 1822)
・歌曲「ある乙女の絵」WoO.107(1782)
・歌曲「愛されぬ者の嘆息と答え合う愛」WoO.118(1794-95)
・歌曲「君を愛す」WoO.123(1795)
・カンツォネッタ「別れ」WoO.124(1795)
・歌曲「奉献歌」OoO.126(1798)
・歌曲「うずらの声」WoO.129(1803)
・歌曲「恋人が別れようとしたときに」WoO.132(1806)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
イェルク・デームス(ピアノ)(1966.4録音)

例えば、ゲーテの詩による3つの歌作品83の第3曲「彩られたリボンに添えて」の、爽やかな歌。

小さい花を、かわいい花びらを
うら若くて心やさしい春の神々が、
たわむれに、軽やかな手でまき散らす、
私の透き通るリボンの上に。
(対訳:西野茂雄)

ゲーテの詩は、何気ない現実の状況のありのままを描写するものだが、それにベートーヴェンが曲を付したことで一層リアルさを増す。相変わらず知的なフィッシャー=ディースカウの歌唱。

素晴らしいのは歌曲集「遥かなる恋人に寄す」。
いかにも後期様式の入口に立つベートーヴェンの、その上創作力が低下したといわれる不毛の時期の、実に深みのある神々しい歌たち。

そして、恋する心は、恋する心が、
あがめるもののもとへ行きつくだろう!
(対訳:西野茂雄)

春と愛が歌われる第5曲の可憐な歌、また、ロマン・ロランが「小枝から花が咲き出たような、ベートーヴェンの最も美しい旋律のひとつ」と評した第6曲の憧憬と崇高さ。後奏に至り歌手とピアニストが一体となる(最後の和音の残響!)。
ちなみに、WoO.118後半部「答え合う愛」の旋律は「歓喜の歌」の原型といわれるもの。

果たしてベートーヴェンは実際女性というものを理解できていなかったのだろうか?

 

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6 COMMENTS

雅之

>果たしてベートーヴェンは実際女性というものを理解できていなかったのだろうか?

朝寝ぼけてると前回のようなコメントになります。男は全員女を理解出来ていないのですから。

女もまたしかり。岡本様のようにCDを集める女はいませんしね(笑)。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

>男は全員女を理解出来ていないのですから。女もまたしかり

そりゃそうだ!!(笑)

>CDを集める女はいませんしね

これって実際どうなんでしょうね?
確かにそんな女子には会ったことはないですが、本当にいないのでしょうか?

返信する
雅之

「なんでも鑑定団」でも、家族を困らすのは大概男ですしね。

自分の経験上、収集癖は外で狩りをしてきた男が強く持つ本能だとしか自己分析できません(笑)。

・・・・・・飼い猫が捕まえてきたねずみや小鳥をくわえて、どや顔で主人の足下に置く行為や、犬が靴下やおもちゃやなど落ちているものを拾って、自分の小屋に持ち帰るといった事は、猫や犬が持つ狩りの本能からくる行動でありそれらと同じ事だといえます。・・・・・・

http://thinking-free.com/various_thinking/v12.html
より

人間の行動の大半は本能に支配されており、そこから脱却するのは容易ではないと、この事実ひとつ取っても思います。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

なるほど、確かに本能ですね。
とはいえ、僕の場合、最近はCDひとつとっても昔のように執着はなくなってきました。
年をとったのですかね?(笑)

返信する
雅之

>とはいえ、僕の場合、最近はCDひとつとっても昔のように執着はなくなってきました。

ああ、紛れもなくだんだんベートーヴェンの後期みたいな心境に近付いていますね(笑)。

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