寂寥・・・

作家埴谷雄高が没して10年。このたび大長編小説「死霊」の構想メモが発見されたらしい。難解な哲学小説の原型を示す貴重な資料ということで文学界、思想界から注目を浴びているようだ。埴谷といえば未完のまま第9章で「了」となった上記「死霊」が代表作だが、残念ながら僕自身は第3章までで読むのを挫折したままだ。哲学的難解小説とはいえ、頻繁に繰り返されるモチーフや言葉の意味を冷静におさえ、黙考していけば自分なりの「死霊」理解につながるとは思うのだが、いかんせんそこまで独り静かに座して禅問答をするが如くの時間の余裕を持たぬ今は少々無理かと断念し、棚上げとなったままなのである。

「虚体」、「自同律の不快」のように見るからに意味不明の造語が並ぶわけだが、「虚体」とは、ユングの「集合無意識」あるいは「原型」やプラトンの「イデア」と同様の概念であり、宇宙万物の創造主のことを指すのだろうし、一方「自同律の不快」とは「自分が自分であることに対して不快感を感じること、つまり現実に見える自分は自分ではない」ということで、こちらも我々の奥底に眠る「霊性」に気づいているがゆえ、物質性よりも精神性を重視する作家独自の見解、言葉の選び方なのだと推測できる。

ただ、埴谷は共産主義思想の持ち主で無神論者であったこともあり、それを「宗教的」な見地から論考しなかったがゆえの「難しさ」が表出しているだけで、スピリチュアル的に解釈しようとするとさして難解ともいえないのかもしれない。いずれにせよ、全章を読了してからでないと確かな言及はできないと思うので勝手な推測はこれくらいにしておく。

ところで、ドストエフスキーを崇拝していた埴谷雄高の好きな作曲家はその時に応じてラフマニノフであったり、ムソルグスキーであったりとロシア物好みであったらしい。

ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調作品27
シャルル・デュトワ指揮フィラデルフィア管弦楽団

ロシアの大地を思わせる寂寥感と懐かしさを併せ持ったラフマニノフらしい名曲。以前は冗長すぎるということでカットを施した短縮版で演奏されるケースが多かったようだが、やはりオリジナル版で聴くべきだろう。ここにあげたデュトワ盤は最高の名演だと思うのだが、フィラデルフィア管との一連のラフマニノフ物は全て廃盤になっている。残念なことである。再発を望む。

「膨張宇宙といっても寿命は数百億年。無限に比べれば瞬間に過ぎない。さらにさらに瞬間に過ぎない人間が現宇宙の数百億年を超えた無限大に向かわなければ、精神の徹底性はないと思う」(埴谷雄高)

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