カラヤン指揮フィルハーモニア管のバッハ「ロ短調ミサ曲」(1952&53録音)を聴いて思ふ

フィルハーモニア時代のカラヤンの音楽には、実に人間らしい情熱と冷静さを兼ね備えた演奏が多い。時代の要請もあるのだろうが、厚みのある濃密な浪漫薫る音楽の宝庫。
虚心坦懐に耳を傾け思うのは、時間を超え古い録音から垣間見える本物の活気。

カラヤンの指揮するJ.S.バッハの「ロ短調ミサ曲」を聴いた。
気迫のこもる素晴らしい演奏だと率直に思った。
どこか晦渋で、とっつきにくいこの作品については、根気よく聴き続けることで、ある日ある時、突然腑に落ちるときが訪れるものだと僕はずっと考えていた。日常なかなか触手の動かない宗教音楽の最右翼とでも言うのか。
このわかりにくさの理由を、鈴木雅明は次のように説明する。

面白いことに《ロ短調》のほとんどの曲がパロディからなっている。しかも、そのパロディのとりかたというのが、自分の若いときの作品から晩年に至るまで幅広い。
鈴木雅明著「バッハからの贈りもの」(春秋社)P193-194

《ロ短調》の全体としての、非常に引き締まった構成感から必然的にそうなったと思います。ともかく、自分の人生を振り返ったときのそれぞれの時点でのスナップショットみたいなものといいますか。
~同上書P195

もちろん古いスナップを集めて単純なアルバムを作ったわけではありません。考え尽くしたバランスと磨き上げられた細部の仕上げがありますからね。でも、自分の人生を振り返って、こういうことが可能なのは、バッハという人がとても首尾一貫した人だったからです。若いときに作ったものなど、ふつうは省みないものでしょう?ところが20代のときに作った曲にも愛着をおぼえ、見事に再利用している。まるでこのために新たに書かれたかのように見えますよね。
~同上書P195-197

なるほどバッハは反省の人だったということ。しかも、おそらく一切の後悔のない、人生のすべてが肯定できると確信できる人だったのだろうと思う。それは、前妻マリア・バルバラが急逝したときの姿勢、その直後に次の妻アンナ・マグダレーナを娶ったという事実とそれにまつわる数々のエピソードからも容易に想像できる。

悲しみも怒りも、喜びも楽しみも、すべては不足なく、必然であるということだ。
カラヤンの「ロ短調ミサ曲」は美しい。そして、熱い。

・J.S.バッハ:ミサ曲ロ短調BWV232
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
マルガ・ヘフゲン(コントラルト)
ニコライ・ゲッダ(テノール)
ハインツ・レーフス(バス)
ウィーン楽友協会合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団(1952.11&1953.7録音)

ウィーン学友協会合唱団の底なしの威力。例えば、グローリアから合唱「われら汝に感謝を捧げまつる」の、涙なくして聴けぬ壮絶な絶唱は筆舌に尽くし難い。あるいは、続くシュヴァルツコップとゲッダによる二重唱「主なる神」の、優しく心に染み入る妙なる歌唱(伴奏に出るフルート独奏の美しさ)の素晴らしさ。
そして、ニケーア信経(クレド)からの合唱、「十字架につけられ」の嘆きの奥深さ。ここでのカラヤンはひたすら祈りの想いを込め、管弦楽を丁寧にドライブする。
それにしてもコントラルトによるアリア「神の小羊」のあまりに荘厳な音楽に僕はひれ伏す思い。マルガ・ヘフゲンの声が地から湧き上がる。

神の小羊、おん身 世の罪を除きたもう者よ、
われらを憐れみたまえ。
(訳:杉山好)

続く最終合唱「われらに平安を与えたまえ」はあまりに人間臭い響きだが、高揚する天上からのメッセージのようで実に感動的。

ちなみに、この時代ではそういうことが当たり前だったのだろうか、管弦楽はフィルハーモニア管とウィーン・フィルが分け合っていることが興味深い。

 

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