「芸術は目的ではなく、人々と語り合うための手段である。音楽芸術の課題を感情の傾向だけではなく、主として人間の語りの傾向を再現するものとみなしている。芸術の領域においては、パレストリーナ、バッハ、グルック、ベートーヴェン、ベルリオーズ、リストのような、改革者である芸術家だけが芸術の規則を作り出したことを認めるが、それらの規則が絶対的なものであるとは考えず、人間の全精神世界と同様に、進歩し変化するものであると考える。」
上は、ムソルグスキーが最晩年の1880年6月にレオーノヴァの別荘で、ドイツの音楽学者フーゴー・リーマンの要請に応えて、リーマンが編纂中であった音楽事典への原稿として書いた自身のプロフィールから抜粋したものである。これを読むと、この天才の芸術観が明確に理解できるのだが、それと合わせて彼が自分の誕生日を間違えて記憶していたこと、未完の作品をあたかも完成したかのように記して背伸びをして見せようとしていることなど、彼の人間性、性質までもが垣間見えとても面白い。
ムソルグスキーは本当は「人間好き」なんだ。他人をもっと知りたいかったのだろうし、自分をもっと知ってもらいたいと思っていたんだ。ほんのちょっとのことで傷ついてしまうような繊細すぎる精神ゆえ、最後はアルコールに走らざるを得なかったんだ。
作曲家を等身大に捉える、そうひとりの人間として考察しながら楽曲を聴いてゆくと一層その音楽が「よくわかり」、愛おしくなる。小林秀雄氏がどこかで「(一人の作家を知るためには)全部を読め」と書かれていたが、音楽についても同様で、その作曲家が創作した全ての楽曲を聴き尽くし、書簡類や伝記など文献もしっかり読んでみることが本当は重要なんだな(なかなかそんな風にはできないのだけれど)。
昨年11月1日に国立楽器でマリラン・フラスコーヌの演奏を聴いたことを前に書いた。打鍵の強い、とても若々しく豪快な演奏で、感激して思わずその場で音盤を買い求め、サインまでもらった。その時購入したのは、「展覧会の絵」のほかショパンの「幻想曲」や「子守歌」、「マズルカ」などが収められたCDだったのだが、本日じっくりと繰り返し聴き込んでみた。
前進姿勢でキレのあるテンポ感の爽快な演奏。個人的にはポゴレリッチのユックリズムを好むが、これはこれで非常に好感が持てる。隣に座る妻に「こういうテンポ感、好きじゃない?」と振ったら、「ピンポン!」だった。決して感動はしないけど、自分の体内リズムにピタッとフィットするのだと。予想通りだ。2月20日のリサイタルでは、フラスコーヌのような勢いある演奏に愛知とし子らしい「深み」が加味された名演奏が聴けそうだ。
ところで、一昨年の年末に聴いたファジル・サイのアンコールでの「展覧会」後半部の目も覚めるような演奏をまた思い出した。それにしてもあれは凄かった。いつかまた、今度は全曲をサイの演奏で聴いてみたい。
おはようございます。
ムソルグスキーの
>芸術は目的ではなく、人々と語り合うための手段である。
という言葉についてですが、芸術家はある意味、人付き合いが苦手で、世間に認められ語り合いたいから作品を作るのかもしれませんね。どんな過激な前衛の芸術家も、何となく憎めないのはそのためなのかもしれません。
ご紹介の演奏家による「展覧会の絵」は未聴ですが、ファジル・サイの実演は聴きたかったですね!
手持ちの「展覧会の絵」から・・・、
演奏についての論評は差し控えます。私が聴いて驚いた面白い効果のご紹介のみ。
高橋多佳子(P)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1227523
高橋さんの夫君の下田幸二氏のライナーノーツより。
・・・・・・事実、この作品を演奏する時に、ホロヴィッツなどのように、ピアニストの多くが自分なりの“編曲”や“付加”をする傾向にある。しかし高橋多佳子は、時にバスを厚くするくらいで、基本的にそのような装飾はしていない。ただ一箇所をのぞいては・・・。高橋は「キエフの大門」の最後“グラーヴェ、センプレ・アラルガンド”でフォルティッシモの和音の合間に、ピアノの低音弦を拳でたたくという内部奏法で、オーケストラのゴング(銅鑼)を再現してみせたのだ!
あえて、そこまでは原典に忠実に弾いてきて、最後の最後に管弦楽版を意識してのラスト・サプライズ。お見事!・・・・・・
この曲には、他の音楽家にそういうインスピレーションを駆り立てる何かがあるのでしょうね。
(今朝は超多忙で、バタバタ他の仕事をやりながら間違いだらけのコメントをして、あわてて訂正して出勤前に読み返したら、またまたミスを発見。再コメントいたしました。 恐縮至極m(__)m、前3コメント削除お願いします)
>雅之様
おはようございます。
>どんな過激な前衛の芸術家も、何となく憎めないのはそのためなのかもしれません。
同感です。
ファジル・サイの「展覧会」を聴く機会がありましたら、躊躇なく行ってみてください!!
ところで、高橋多佳子氏の「展覧会」、聴いてみたくなりました。ホロヴィッツの編曲も抜群だと思いますが、「低音弦を拳でたたくという内部奏法で、オーケストラのゴング(銅鑼)を再現」という箇所を何としても音で確認したいです。ご紹介ありがとうございます。
>この曲には、他の音楽家にそういうインスピレーションを駆り立てる何かがあるのでしょうね。
そうですね、クラシックに限らず、あらゆるジャンル、楽器で編曲されている曲って他にないんじゃないでしょうかね?