ドビュッシーとチャイコフスキー

tchaikovsky_gergiev_vpo.jpg一旦思い込んだらとことん追求するというのが僕の性質。ピアニストの青柳いづみこさんが著した「ドビュッシー~想念のエクトプラズム」を読み始める。モネなど印象派の画家といっしょに語られることの多いドビュッシーの音楽だが、印象派自体作曲家自身の生涯や思想の中にはほとんどかかわりを持たないのだという。むしろ、世紀末デカダンス、オカルティズムなどおどろおどろしい側面、いわゆる「裏」の部分に光をあてることで天才作曲家の真実の姿が読みとれるのだと。面白い本である。まだまだ読み始めだから細かく言及はできないが、若き日のドビュッシーがチャイコフスキーのパトロンであったフォン・メック夫人と関わりがあったことを知り、びっくりした(ドビュッシー・ファンからしてみるとこういう事実は当たり前のことなのかもしれないが)。 1880年というからドビュッシー18歳の頃の夏季休暇中、夫人が彼を子どもたちのレッスンのための伴奏ピアニストとして数ヶ月雇っていたらしい。しかも、当時チャイコフスキーが夫人に献呈した第4交響曲をピアノ連弾用に編曲し、フォン・メック夫人の前で披露したりした。それに感動した夫人が作曲家の最初のピアノ曲である「ボヘミア風舞曲」をチャイコフスキーに送ったところ、次のような返事が来たという。
「とるに足らないもので、第一、あまりに短すぎます。テーマは発展するわけでもないし、形式は整っていないし、全てに統一を欠いています」(平島正郎『ドビュッシー』

若き日のドビュッシーの才能を見抜けなかったチャイコフスキーをよそ目に、夫人は相当ドビュッシーに入れ込んだらしい。その入れ込みに対する「嫉妬心」から否定的な手紙を出したのだろうという見解もあるようだが。

作曲家の音楽を聴く時、その人のバックグラウンドを知ることは大きな助けになる。特に、この書籍ほど緻密に調査され、書かれているものはより一層だ。

三郷にあるDの自宅を訪れた。雨が降り5月とは思えない冷え込みだったが、昼食にバングラディッシュ・カレーを食し、昼間からビールやワイン、焼酎などを飲みながら歓談した。息子のI君もとても2歳半とは思えないほどの成長ぶり(コミュニケーションもしっかりとれるし、自分で洋服を着たり、トイレに行ったりできるものだから親の躾が良いのでしょう)で感心した。しかも、夕方お暇する時に「帰っちゃやだぁ」って泣いてくれたようで、はるばる三郷まで行った甲斐がある(笑)と電車の中でひとりほくそ笑んでしまった。子どもはかわいい。

チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36
ワレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

チャイコフスキーのいわゆる「運命」といわれている交響曲。いかにもチャイコフスキーらしくわかりやすい主題とわかりやすい展開、構成をもつ楽曲。ちょうどパトロンとなったフォン・メック夫人との交際が始まった頃に書かれた音楽は、独特の「暗さ」と「重み」が同居した傑作となっている。ただし、僕自身は彼の後期三大交響曲の中で一番聴く機会が少ない。作曲家が「幸福を妨げる運命の力」と語るように、どうもその「負の力」が解決されないまま全曲を終えてしまうようで(一見は終楽章で苦悩の解放を表しているように聴こえるが)、鬱積したままの中途半端さを感じてしまうからだろうか。
チャイコフスキーは生涯このパトロンとも会わなかった(会えなかった?)ようだから、コンプレックスがかなり強く、抑圧的な性格だったのだろう。ドビュッシーの作品へのコメントだけをとってみても何だかイジイジした暗さと意地悪さを感じてしまう。人間というもの、小さいことに拘らず、もっとカラッとした性格になったほうが生きやすいのに。

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