もう20年も前のこと。
その年の11月、大分県別府市でのアルゲリッチ音楽祭に僕は駆け付けた。
プロコフィエフの協奏曲第3番がお目当てだったが、確かプログラムには予定されていなかったチョン・ミョンフンとの連弾によるラヴェルの「マ・メール・ロア」が急遽演奏されるというアナウンスを聞いたとき(見たとき?)、僕の心は躍った。
果たしてその演奏は、ニュアンス豊か、かつ軽やかで、本当に美しいラヴェルだった。
頬を紅潮させ、いかにも日本の聴衆に良い音楽を届けたいという思いが全身から薫り、いつものようにぎこちないお辞儀を繰り返すマルタ・アルゲリッチに僕は見とれた。
三島由紀夫の国の神秘、その祭式、洗練に彼女は魅せられている。西洋ブルジョワのしきたりにはいらだちながらも、島国日本で先祖伝来の法には喜んで従う。日本人の性質には心を奪われる。彼女は日本人のことを知的で鋭敏だと思い、何よりも彼らの“婉曲”な表現の流儀を好んでいる。日本人の話術に対しては、つねに暗号解読のような解釈が必要だ。マルタは日本人たちが入念にヴェールでぼかした言葉の裏を読み解くことができる自分を嬉しく、そしておそらくは誇らしく思っている。鈍感な異邦人や短気な旅行者が日本人の行動仕様を理解しようと試みても、腹立たしい思いをするだけかもしれない。が、楽譜に隠された秘密を無限に読みとることに習熟している演奏家の桁外れなイマジネーションをもってすれば、それは無上の悦楽となる。
~オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P262
第1曲「眠りの森の美女のためのパヴァーヌ」から音楽は何とも可憐。マルタが、日本の聴衆にそれこそ桁外れなイマジネーションをもって贈ってくれた、遊び心に溢れながらも高貴さ満ちるメルヘンの世界に思わず惹きこまれる。柔らかな第2曲「おやゆび小僧」を経て、第3曲「パゴダの女王レドロネット」の、20本の指が無窮動のように動き、けたたましく鳴り響く様にとても嬉しくなった。それにしても、第4曲「美女と野獣の対話」は、何て静かで美しい音楽なのだろう。また、夢見るような終曲「妖精の園」の、最後の高音でのグリッサンドの煌きは会場で思わず息を飲んだほど音楽的で見事だったが、録音を聴いてもその印象は変わらない。
別府アルゲリッチ音楽祭1998
・ラヴェル:マ・メール・ロワ(ピアノ連弾)
・プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番ハ長調作品26
・ヒナステラ:アルゼンチン舞曲集作品2~第2曲「粋な娘の踊り」
・ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68
・ブラームス:ハンガリー舞曲第1番ト短調
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
チョン・ミョンフン(ピアノ)
小森谷巧(コンサートマスター)
平澤仁(第2ヴァイオリン)
馬渕昌子(ヴィオラ)
木越洋(チェロ)
永島義男(コントラバス)
茂木大輔(オーボエ)
久永重明(ホルン)
チョン・ミョンフン指揮桐朋学園オーケストラ(1998.11.30Live)
相変わらず縦横無尽でじゃじゃ馬の如くのプロコフィエフに、当時僕は涙が出るほど感動。特に、第3楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ、一糸乱れぬリズムを伴うコーダの猛烈な突進に心底興奮した。あらためて聴いてみても本当に素晴らしい。
ところで、ブラームスのハ短調交響曲については、当時、もう少し平板かつ軽いもので、好みではないと判断していたが、あらためて録音を聴いてみると、意外に低音豊かで重厚な音楽が鳴り響いていてとても心地良い(第1楽章提示部の煩わしい反復もない)。年を重ねれば音楽の聴き方や感性がやっぱり変わるということか。
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