Avishai Cohen with Nitai Hershkovits “Duende” (2012)ほかを聴いて思ふ

バッハの厳しさには愛がある。
たった一台のヴァイオリンによるソナタ&パルティータを聴いていると、心が沈静し、魂までもが癒されることがわかる。バッハの無伴奏作品は、後世の音楽家たちに多大な影響を与えた。例えば、20世紀初頭に活躍したモンスター、マックス・レーガー。
レーガーの無伴奏ヴァイオリンのための作品は、いずれもが崇高で愛に溢れ、バッハのそれに一切の遜色なく僕たちを魅了する。

シェーンベルクはツェムリンスキーに宛て、かつて次のように書いたという。

レーガーの作品を頻繁に演奏しなければなりません。理由1:彼は多作家であるから。理由2:彼はすでにこの世を去っており、その音楽に対する明瞭な見解がまだ確立されていないから。(僕は彼が天才だと思うのです)
MIR 128ライナーノーツ

当時、レーガーの音楽に対して否定的な見解を持つ批評家が多かった中で、さすがはシェーンベルク。彼の眼は常に未来を見つめており、その審美眼は間違いなかった。

何年か前、庄司紗矢香の、バッハとレーガーの無伴奏作品を交互に配したアルバムを初めて聴いたとき、レーガーのバッハへの憧憬と尊敬を思い、また庄司の、心からこの2人の作曲家を愛する想いが見事に音化されていることに感激した(選曲からしてすべてが短調作品であることの粋)。
あらためて耳にして思うのは、何よりヴァイオリンの壮絶な(?)透明感。
特に、孤高のレーガー「シャコンヌ」の恐るべき集中力にため息がもれるほど。

バッハ&レーガー無伴奏ヴァイオリン作品集
・レーガー:前奏曲とフーガト短調作品117-2
・J.S.バッハ:ソナタ第1番ト短調BWV1001
・レーガー:前奏曲とフーガロ短調作品117-1
・J.S.バッハ:パルティータ第1番ト短調BWV1002
・レーガー:シャコンヌト短調作品117-4
・J.S.バッハ:パルティータ第2番ニ短調BWV1004
庄司紗矢香(ヴァイオリン)(2010.8.28-31録音)

そして、バッハのニ短調パルティータの、神々しいまでの色彩。
たっぷりと想いを込め、ゆったり弾き進められる第1曲アルマンドの抜けた音楽に、この人の天才を思う。あるいは、第3曲「クーラント」での、遠慮がちに弾ける音楽に、心なしか乙女の恥じらい(?)が投影されているようで興味深い。そして、滑るように走る第4曲ジーグを布石にし、無我の境地の終曲「シャコンヌ」については語るなくもがな。

次いで、1台のピアノが奏でる魔法。バッハより少し前にフランスで活躍したフランソワ・クープランの、こちらは鍵盤のための作品集。
可憐な音色で、フレーズはあくまで自然に滔々と流れる。アンジェラ・ヒューイットの方法はいつも堅実で無心、それがまた魅力的。

フランソワ・クープラン:鍵盤作品集第1巻
クラヴサン曲集第2巻
・第6組曲
―第1番「収穫をする人々」
―第2番「心地よい恋やつれ」
―第3番「さえずり」
―第4番「ベルサン」
―第5番「神秘的なバリケード」
―第6番「牧歌」
―第7番「おしゃべり女」
―第8番「羽虫」
クラヴサン曲集第3巻
・第18組曲
―第1番「ヴェルヌイユの女」
―第2番「ヴェルヌイユの娘」
―第3番「修道女モニク」
―第4番「騒がしさ」
―第5番「感動」
―第6番「ティク-トク-ショック、またはオリーヴ搾り機」
―第7番「片足の不自由な元気者」
クラヴサン曲集第2巻
・第8組曲
―第1番「女流画家」
―第2番「アルマンド:女流詩人」
―第3番「クーラント1&2」
―第4番「サラバンド:風変り」
―第5番「ガヴォット」
―第6番「ロンドー」
―第7番「ジーグ」
―第8番「パッサカリア」
―第9番「モラン嬢」
アンジェラ・ヒューイット(ピアノ)(2002.12.16-19録音)

クープランのクラヴサン曲集は、バッハの無伴奏作品とほぼ同時期の作品だが、国や環境の差異を横に置いても、その印象の違いは明らか。そもそも後年のエリック・サティ顔負けの風変りな(風変りでもないか?)標題が実にセンス満点。音楽は明晰で優しく、またわかりやすい。
ある意味峻厳さの欠片なく、それでいてバッハとは別の意味で神々しいのだから恐れ入る。ここには神、というより天使がいるようだ。

最後にアヴィシャイ・コーエン。
ニタイ・ハーシュコヴィッツの虚ろなピアノ前奏に乗り、コーエンのベースが小刻みに揺れ、小さいうねりをあげる様に心動く。”Signature”の静かな美しさ。続く、セロニアス・モンク作”Criss Cross”での、ピアノとベースの見事な同化に、音楽の愉悦を思う。

・Avishai Cohen with Nitai Hershkovits:Duende (2012)

Personnel
Avishai Cohen (bass, piano)
Nitai Hershkovits (piano)

コール・ポーター作”All Of You”も脱力の極み。あるいは、ジョン・コルトレーン作”Central Park West”の涙ながらのバラードにある静かでありながら強烈なエネルギーには、それこそコルトレーンの魂が乗り移るのか。しかしながら、一層感銘を受けるのは、コーエン自作の諸曲。例えば、”Ann’s Tune”の一体感、あるいは、”Calm”の叙情。それにしてもコーエンによるピアノ・ソロ”Ballad for an Unborn”の即興風哀感秘めた独り語りはどこかクープランの音楽にも通じるもので素敵。デューク・エリントン作”Take The Coltrane”が唸る。

18世紀初頭のバッハからクープラン、200年後のレーガー、そして300年を経てのアヴィシャイ・コーエンを続け様に聴いて思うこと。音楽の源はやはり律動であり呼吸であり、また官能であるということ。どんなに神々しく、聖なる調べであろうと、人間という俗なるものを媒介にしての創造物であるということ。

ところで、新川電機株式会社様のサイト中「WEBマガジン」に寄稿させていただいた記事が昨日公開の運びとなった。ご一読のほど。

 

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