ロックとイタリア・オペラ

puccini_boheme_serafin.jpg先日、第39回目の「早わかりクラシック音楽講座」ではロック音楽を採り上げた。久しぶりにいろいろとロックのことを復習してみて、ポピュラー・ミュージックは極めて短期間に進化、発展しているんだということを再確認した。天才が何か新しいことを始めることにより、もう一人の天才が影響を受け、さらなる進化を遂げる。

産業としてのロック音楽が確立するきっかけになったのは1969年のウッドストック・フェスティバルである。当時僕は5歳。もちろんそんなことは知る余地もなかったが、後に映画化されたこの「ロックの祭典」を観て、衝撃を受けた。20歳の頃、人影まばらな早稲田松竹においてである。ザ・フーが演奏終了後に機材をぶっ壊すシーン、そしてジミ・ヘンドリクスが「アメリカ国家」演奏後にギターを燃やすシーン(この時以来この映画は見ていないので記憶違いのところもあるかもしれぬが)が特に目に焼き付いた。

僕は長男だからだろう妹に比べ幼少時の写真がたくさん残っている。もちろん基本的に「思い出」を残すことは好きだったから以降の写真も多い。しかしながら、どういうわけか大学1年生から2年生の2年間の写真が1枚もない。若気の至りというか、単なる反抗というか、どちらかというと高校まで真面目に過ごしてきて大学で羽を伸ばそうとした僕が、かっこうをつけて、どんな状況においても、どんなにカメラを向けられても一切拒否していた、そんなような時期だったから。

パーティーに向けて過去の写真が欲しいと幹事からオファーを受け、実家からいくつか過去のアルバムを送ってもらった。

昭和39年から昭和45年、つまり小学校に入学する頃までに撮りためた表紙がぼろぼろになったアルバムを何十年ぶりかに開いてみて、とても懐かしくなった。その瞬間を憶えている、そういうシーンも結構ある。全く記憶の彼方にすっ飛んでしまっているものもある。それでも不思議なのは「自分」という感覚である。あれから40年という月日が経過しているにもかかわらず、「自分」という認識は全く変わっていない。

その頃の僕の興味の中心は、仮面ライダーやウルトラマンなどの変身ヒーローだった。男の子は誰しも強くなりたいのだろう、それとも幼いなりに自分自身を受け入れきれてなかったのだろうか、どうしても変身したかった。

同じ頃、大人の音楽好きはビートルズやツェッペリンの音楽にはまり、ウッドストックの世界に入り浸っていたのだろうか。それらは現実逃避だという人もいる。しかし、ヒッピーがロックの底上げに一役担ったとするなら彼らそのものが「文化」であり、賛否両論はあれ、いわゆる「愛と平和」の活動を現実逃避として単に片付けてしまうことにも無理があろう。

プッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」
レナータ・テバルディ(ソプラノ)
カルロ・ベルゴンツィ(テノール)
エットーレ・バスティアニーニ(バリトン)
チェーザレ・シエピ(バス)
トゥリオ・セラフィン指揮ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団

プッチーニのオペラは単純明快だ。悪い意味ではない。これほどわかりやすく、かつストレートに心に響く音楽はなかなかあるまい。僕は若い頃イタリア・オペラが苦手だった。最後は死によって幕を閉じるという、そのワンパターンな進行にも閉口したものだが、脳天気で底抜けに明るい点が余計に僕好みでなかった。でもこれは一方通行の見方でしかなかった。不思議なことにロック音楽を知れば知るほどイタリア歌劇の魅力にとり憑かれるようになった。

ウッドストックは時に幻想だったと言われるが、そこには真実があった。年をとって振り返ったときに初めてわかるような「リアル感」が絶対にあったはずだ。プッチーニのオペラ然り。嘘のような明るさの中に「悲しみ、喜び、怒り」など感情のすべてが表現される。「ボエーム」の世界と「ロック音楽」の世界は限りなく近い・・・。

好きなように仕事をし、好きなように恋をし・・・。生き方にこうあらねばならないというスタイルはない。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。
鶴首して発売を待っていた「キース・エマーソン&グレッグ・レイク(吉松隆:編曲):タルカス《オーケストラ版》」(藤岡幸夫&東京フィル他)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3835463
を、旅の途中にじっくりと聴きました。
いやあ楽しかったです。
「ゲーテやシェークスピアの作品がいかに不滅の傑作であろうと、私たちが「面白そう」と言って手を伸ばすのは、同じ国同じ時代に生きる作家たちの「新しい作品」。それは文学でも映画でも美術でも音楽でも同じはず。ところが、この「常識」が通用しない唯一のジャンルが「クラシック音楽」。100年も200年も前に書かれたヨーロッパの音楽を繰り返し聴くだけという状況が続いている。これでは100年先の未来はない。いや、だからといって「現代の音楽を聴きなさい」などというつもりは全くない。ただ、「なんだか知らないけれど面白そう」と思って新しい音楽が演奏されるコンサートに行く。そういう(むかしは当たり前だったはずの)楽しみを、100年の歴史を持つ東京フィルという第一級のオーケストラと一緒に、日本のクラシック音楽界に提供したい。それがこのシリーズに込めたささやかな願いである。「そんなのは邪道だ!」と憤慨しながら楽しんでいただきたい。」──吉松隆
吉松先生の今回の勇気ある試みに、心からの拍手を贈りたいです。
「憤慨しながら楽しむ」 いいですねぇ(笑)。
憤り 腹立ち 向かっ腹 八つ当たり 癇癪 立腹 怒気 怒髪天を突く 激怒 憤怒 激昂 激憤 憤懣 慷慨 憤慨 公憤 私憤 悲憤 義憤 鬱憤・・・、これらの言葉は、みんな「愛」の同義語だっていうことを、私は昔、イタリアオペラから学びました。 
ところで、ご紹介のすごいメンバーが揃った「ラ・ボエーム」の名盤で思い出しましたが、7月5日に20世紀のイタリア・オペラ界を代表するバス歌手だったチェーザレ・シエピが亡くなりましたね。フルトヴェングラー指揮「ドン・ジョヴァンニ」での名唱は忘れられません。
過去を振り返ることはとても大切。
でも、あの素晴らしい過去を、よりよき未来のために生かしたいものですね。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんわ。
本日コンサートの帰りに、久しぶりに新宿のタワーレコードに寄りました。何か買わなきゃいけないものがあったはずだと、店頭に入ったものの、それが何だったのか思い出せず、ぐるっと回っても発見されず・・・、結局まだ買っていなかった「レコ芸」を手にとって帰ってきました。
徐にページを開いたら、載ってるじゃないですか!!
吉松先生編の「タルカス」!!!
そう、これが欲しかったのにーー。
ということで、まだ僕は聴いておりません。
やっぱり良かったですか?!
そりゃそうですよね。
キース・エマーソンが涙したというくらいですから!!
あーーー、早く聴きたい。
吉松先生がおっしゃるように、これほどまでに気持ちを高ぶらせる音楽ってそういえば今のクラシック音楽には少ないですねぇ。いや、ほんとに拍手です。この際、先生にはイエスやクリムゾン、フロイドなどなど、挑戦していただきたいですね。いや、「タルカス」のあとは「悪の教典」ですかね・・・。
ところで、シエピ亡くなりましたね。というか、まだ生きてらしたことに僕は驚きました。
>過去を振り返ることはとても大切。
でも、あの素晴らしい過去を、よりよき未来のために生かしたいものですね。
同感です。

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