内田光子 ピアノ・リサイタル

mitsuko_uchida_2015378まさに「ゼロ」というスタンス。
だからイデオロギーには傾かない。
たった一人で二千人もの聴衆と対峙する度量、パッション、そしてエネルギー。大きな緊張感に覆われる中、盛大な拍手に導かれ孤高のピアニストは一台の楽器と向き合った。
音楽のキレ、また包容力は並大抵でなかった。
天才だ。
ほとばしる感情と、冷静沈着な悟性とのせめぎ合い。そして、時の経過とともに移ろう音のあまりの美しさ。

シューベルトの即興曲第1番ヘ短調冒頭フォルテの激震。もはやここで僕は金縛りに遭った。主部の旋律が実に美しく、語りかけるように奏でられる。
また、第2番変イ長調の、一音一音が丁寧に奏される主題は真に透明、中間部も実に音楽的でどんな強音も決してうるさくならない。何という浪漫。
そして、第3番変ロ長調の可憐な主題は、内田光子によるメルヘンの世界。各々の変奏も音の一粒一粒までもが明瞭で心底癒される。さらに、アタッカで劇的に紡がれる第4番ヘ短調は非常に生命力溢れるものだった。
晩年のシューベルトの境地は果たして行くところまで行っていたのかもしれない。いやはや、その魂を見事に表現し切る内田光子の力量に拍手喝采。

サントリーホール フェスティバル2015
内田光子 ピアノ・リサイタル
2015年11月15日(日)19時開演
サントリーホール
・シューベルト:4つの即興曲作品142D935
休憩
・ベートーヴェン:ディアベリのワルツの主題による33の変奏曲ハ長調作品120
内田光子(ピアノ)

20分の休憩を挟み、いよいよ内田光子によるベートーヴェン畢生の大作「ディアベリ変奏曲」。何という緊張感!何という優しさ!!そして、何という慈悲!!!

まずはディアベリの主題の真に音楽的な歌わせ方!軽快で旋律に満ち・・・。
そして、第1変奏の雄渾な響きと第2変奏のこもったような響きの対比にピアニストの表現の幅の広さを痛感する。虚ろでありながら明朗な第3変奏に心動き、少しずつ解放されゆく第4変奏に快哉を叫ぶ。
激しい打鍵の背面に感じられる第5変奏に見るベートーヴェンの怒りと、右手と左手が交互に跳ね、一層の高みへと上り詰め行く第6変奏の対比。第7変奏に聴く低音の轟きに僕は戦慄を覚えた。嗚呼、この超難曲が心に沁みわたる。

第10変奏の細かいパッセージに重なる重低音の魔法に感化されるや、一呼吸置かれての第11変奏の清澄な音楽に感涙。第12変奏は前進する希望だ。
とはいえ、真骨頂は第14変奏以降。一体これは誰の葬送なのか?反復の際の1回目とは違ったニュアンスを湛える妙。古典的な佇まいの第15変奏を経て、第16変奏の圧倒的スピードにモーツァルトを思う。実に交響的!
さらに、第18変奏「ライムライト」主題の柔らかさに我を忘れ、その後のフレーズの煌めきに感激。そして、第19変奏でのカタルシス!

ちなみに、第20変奏からはほとんどソナタハ短調作品111と相通じる祈りの世界。ここからはもう人間業とは思えない内田光子の精神の高揚とほとんど瞑想といえるほどの静けさを獲得した魂の対話のようだった。
嗚呼、第26変奏の光彩鮮やかな旋律における作品111のアリエッタの片鱗。
第27変奏では音楽が激しくうねる。

なるほど、ベートーヴェンがあえて「変容」と名づけたこの音楽の白眉は第30変奏以降。内田の表現は、憂いに満ち、優しさに溢れる。何という透明さ。第31変奏の安寧と昇華は晩年のモーツァルトの音楽と相似形。また、第32変奏の疾風の如くのフーガに天使が舞い降り、最後の変奏ではメヌエットがいかにも美しく奏でられた。

今夜のプログラムはいずれも作曲者晩年の作品。
そして、ポジネガどちらにも当てはまらない中庸の美。
シューベルトのそれは研ぎ澄まされた透明な侘び寂。30歳を超えたばかりの年齢にもかかわらず儚いのである。
一方のベートーヴェンの「変容」は、釈迦の何千巻に及ぶ仏典の如く、おそらく全容を解明、理解するのに一生涯かかることだろう。

内田光子の音楽がますます洗練されたものになってゆく。
この高尚さ、そして哲学性。真に素晴らしいひとときだった。

 

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