事実は小説より奇なり

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玉川学園を初めて訪れた。小田急の駅を降りると休憩するお店すらない田舎駅の雰囲気を醸し出しているのだが、すぐ隣はもう学園の敷地で、正門から授業をすることになっている5号館まで15分近く歩いてようやく到着した。講座の後、先生方にいろいろと伺ってみると敷地は54万坪、東京ドーム30個分とか何とかおっしゃっていた。これはもう、ひとつの町である。
広大な学園の中をゆっくり歩きながら、そこかしこの樹々が少しずつ秋めいてきて、暑いながら湿気の少ない天気で至極気持ち良い。
往復の電車の中で正岡子規の「病牀六尺」を読んだ。子規は1902年9月19日に34歳で結核のため亡くなっているが、病床に伏せる自身の身の回りで起こったこと、感じたことを同年5月5日から新聞「日本」誌上に連載しており、何と死の2日前、すなわち9月17日分までが掲載され、後にそれが随筆集としてまとめられた、それがこの「病牀六尺」なのである。

「事実は小説より奇なり」という言葉通り、多岐に渡る話題をこれほどリアルに書き綴ったものは読んでいて面白いほどに引き込まれてしまう。4ヶ月あまりの自身の内部で起こった克明な記録集としても大いなる価値あるものだと思うし、まだ完読したわけではないので細かいところまでの言及は避けるが、とにもかくにも病状が進んでいく中での凄まじい闘病の様子が克明に描かれており、最後の方は涙なくして読破することは不可能なほどだ。

「足あり、仁王の足の如し。足あり、他人の足の如し。足あり、大盤石の如し。僅かに指頭を以てこの脚頭に触るれば天地震動、草木号叫、女媧氏いまだこの足を断じ去って、五色の石を作らず。」(9月14日)

ところで、音楽評論家の故中河原理氏が、バッハの音楽が「人間的な、あまりに人間的な音楽」であり、「言葉の最も深い意味での日常性に根ざしながらも、普遍的かつ聖なるものに高められたもの」だと書かれていることを知り、なるほど確かにそうかもと思った。正岡子規が最晩年に綴った随筆集の信念とどうも近いものを感じるのだが、それは「言葉の最も深い意味での日常性に根ざしながらも、普遍的かつ聖なるものに高められたもの」だと僕には思えるから。僕は日本文学や俳句には疎いが、俳句や歌の世界では子規は西洋クラシック音楽におけるJ.S.バッハのような位置にいるのだろうか。ひょっとするとこの世界では過去(芭蕉ら)も未来(俵万智ら・・・笑)も子規につながるのかも。少し正岡子規を勉強してみたくなった。

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全集(ヘンク・ファン・トゥイラールトによるバリトン・サックス編曲版)
ヘンク・ファン・トゥイラールト(バリトン・サックス)

以前、雅之さんからいただいた音盤(毎々、貴重な情報だけでなく現物まで支給いただきありがとうございます)。前に採り上げたゲリー・カーによるメンデルスゾーンの「無言歌集」(コントラバス編曲版)同様、何ともこういう低音の響きが、少々秋めいてきたこの頃の季節感と相俟って、心に染みる。バリトン・サックスのこの人間の声のような音って何なのだろ
う?ともかく目の前で吹いているように音がリアルなのも嬉しい。「病牀六尺」に無伴奏チェロ、音楽を聴く喜びここにあり・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
バッハ:無伴奏チェロ組曲(ヘンク・ファン・トゥイラールトによるバリトン・サックス編曲版)、楽しんでいただけてうれしいです。
じつは今、この盤以上に心底惚れ込んでいる編曲版SACDがありまして・・・。誰にも知られたくなくて、私だけの密かな楽しみにしておこうと考えていたのですが、こっそりご紹介します。
無伴奏チェロ組曲第1番、第2番、第3番(ホルン編曲版) バボラーク(ホルン)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2633681
無伴奏チェロ組曲第4番、第5番、無伴奏フルートのためのパルティータBWV.1013(ホルン編曲版) バボラーク(ホルン)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2633680
少し前にバボラークの実演に接してから、その余人をもってかえ難いほどのホルンの音の美しさと技巧のレベルの高さにすっかり魅せられまして、いっぺんに彼のファンになってしまいました。
そして、岡本さんとのこのコメント欄でのやり取りで、モーツァルトやベートーヴェンがその楽曲の中でこの楽器に込めた思いを知り、ますますホルンという楽器自体に憧れるようになってしまいました。
しかし、あの難しいので有名な楽器で、超絶技巧さえ伴うバッハの無伴奏のホルン編曲版をこれだけ楽々と吹きこなすとは、ちょっと信じられないくらいです。バッハのオリジナルにしか聴こえないくらいで、しかも、原曲の深淵さを少しも失っていないところが凄いどころか、チェロの魅力、深さを明らかに超えたと錯覚する瞬間もあるくらいなんです。透き通った空気の秋に聴くに最高に相応しい音盤だと信じきっています。
バボラークはいいですよ。実演に行かれるチャンスがありましたら、ぜひ実演にも接してみてください。
以前ご紹介のゲリー・カーによるメンデルスゾーンの「無言歌集」、まだ聴けておりませんが、ますます聴きたくなりました。
>俳句や歌の世界では子規は西洋クラシック音楽におけるJ.S.バッハのような位置にいるのだろうか。
そうかもしれませんね。それと同時に「病牀六尺」については、シューベルト最晩年の歌曲を集めた「白鳥の歌」のことも思い出します。
子規はハイネの詩を知っていたのでしょうか?

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちわ。
ラデク・バボラークについては気にはなっていたもののまだ聴いておりませんでした。誰にも知られたくないとおっしゃるくらいの演奏でしたら、さぞかしでしょうね。これはぜひとも仕入れて聴いてみます。
とはいえ、それよりもやはり実演は凄そうですね。これも機会がありましたら行ってみます。ありがとうございます。
>子規はハイネの詩を知っていたのでしょうか?
これはどうなんでしょうね?まぁ、しかし知っていてもおかしくはないと思いますが・・・。
※先日ご紹介のラトルの「くるみ割り」手に入れました。業界の友人から仕入れたものなのでDVDなしのいわゆる白盤というものですが。1枚目だけ聴いてみましたが、いいですねぇ。それに雪片のワルツにリベラが参加しているとは!
こちらもじっくり聴いてみます。ありがとうございます。

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