ヘルマン・マックスのバッハ「ヨハネ受難曲」(シューマン編曲版)(2006録音)を聴いて思ふ

苦悩のロベルト・シューマンは、対位法の研究にかこつけて、バッハの精神にすがったのかもしれない(単に生活費を稼ぐための手段に過ぎなかったというドライな考え方も否定はできないが)。当時、身重のクララの日記にはこうある。

絶えず仕事を続ける力のある精神よりもすばらしいものが、いったいあるだろうか。この精神とこの魂を十全に感じとることができる理解力と心を天が私に与えてくださって、なんと自分が幸福なことかと思う。ほかの何千人もの女性に較べて、自分がどれほど幸福な妻であるかを考えるとき、私は深い不安に襲われる。そしてあまりにも幸福すぎるのではないだろうかと、天に尋ねるのだ!私のロベルトの愛と作品とのおかげで知りえた喜びや言うに言われぬ幸福のかたわらでは、生活の物質面での失望などいったいなんだろう・・・!
カトリーヌ・レプロン著/吉田加南子訳「クララ・シューマン—光にみちた調べ」(河出書房新社)P176-177

1851年から52年にかけて、ロベルト・シューマンは脳貧血のため、冬の間は指揮台から離れていたのだという。デュッセルドルフの音楽委員会との避け難い確執は、シューマンの身体を、そして何よりも精神を蝕んでいった。「4声のための合唱ミサ曲」、「レクイエム」、「歌人の呪い作品139」など、数多の聖なる作品が生み出される傍ら、ロベルトはバッハの「ヨハネ受難曲」の編曲に取り組んだ。

シューマンの編曲はとても人間的だ。チェンバロはフォルテピアノに変えられ、原曲にはないクラリネット、バスーン、トランペットが使用される。

体調は必ずしもよくなかった。4月からリューマチの発作に悩まされて不眠と鬱症状を伴うようになっていたのが、6月にはさらに悪化し、6月13日にはヴァイマルでリストが《マンフレッド》を指揮するという朗報を受けたにもかかわらず、参加することができなかった。不眠と鬱の症状は亢進し、しだいに動機が緩慢になり、デュセルドルフの職務に対しても不満がつのるようになっていった。心身の回復を願って6月下旬から7月はじめまで、ボン近郊の保養地ゴーデスベルクに治療に出かけるものの、7月2日に神経症の「ひきつけの発作」を起こすなど、むしろ悪化していった。
藤本一子著「作曲家◎人と作品シリーズ シューマン」(音楽之友社)P126

リミッターが外れたかのように作曲に指揮にと仕事に精を出すシューマンは、自身の心身を過信していたか、あるいは逆に無頓着過ぎたのだと僕は思う(たぶん鬱ではなく極度の躁状態にあったのだろう)。

・J.S.バッハ:ヨハネ受難曲BWV245(ロベルト・シューマン1951編曲版)
ヴェロニカ・ヴィンター(ソプラノI)
エリーザベト・ショル(ソプラノII)
ゲルヒルト・ロンベルガー(アルト)
ヤン・コボウ(福音史家、テノール)
エッケハルト・アベーレ(ピラト、バス)
クレメンス・ハイドリヒ(イエス、バス)
イェニー・ヘッカー(下女、ソプラノ)
ステファン・ゲーラー(下役、テノール)
カイ・フローリアン・ビシュコフ(ペテロ、バス)
ライニッシェ・カントライ
ヘルマン・マックス指揮ダス・クライネ・コンツェルト(2006.9.19-21録音)

第1部第1曲合唱「主、われらを統べ治める君よ」から、情感豊かな、19世紀的浪漫薫る音楽が鳴り響く。カール・リヒター盤にみられる峻厳さはここになく、合唱は聴衆を意識し、あくまで等身大の音楽を届けてくれるのだ。

新全集第30番(旧全集第58番)アルトのアリア「こと果たされぬ!」がやっぱり聴きどころ。イエスの最期を描くここは、音盤でも実演でも、どんな演奏で聴いても大抵感動させられる箇所だが、シューマン編曲によって悲劇性を増した音楽は静かにまた哀感もって奏でられ、中間部ヴィヴァーチェ「すべては終わった。病める魂の慰めよ、悲しみの夜は最後の時間を数えさせる」でのトランペットを付加した編曲に、僕たちは一層胸を締め付けられるのである。

福音史家のレチタティーヴォ「見よ、そのとき神殿の幕、上より下まで真二つに裂けたり」の激しさ!そして、続く新全集第34番(旧全集第62番)「わが心よ」には、ロベルトの内なる不安が刻印される如く、安息の光と翳なる闇が錯綜する。

新全集第39番(旧全集第67番)での、感情を徐々に露にする合唱の慟哭はいかにも苦悩のシューマンらしい(フロレスタンとオイゼビウスの相克)。そして、終曲第40番(旧全集第68番)コラール「ああ主よ、汝の御使いに命じ」の崇高さ、透明さ。

 

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