ナッセン指揮クリーヴランド管のムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」組曲(1996録音)を聴いて思ふ

ムソルグスキイは寡欲だった。いつの日かヨーロッパ中が自分の音楽に興味を抱こうとは、毛頭思っていなかった。ムソルグスキイはただ音楽に憑かれていたのだ。かれは書いた。書かずにはいられなかったからだ。かれはいつどこでも作曲した。ペテルブルグの居酒屋〈マールイ・ヤロスラヴェツ〉の裏の部屋で独りウォッカを飲みながら、音楽を書いていた。ナプキンの上、勘定書の上、脂のしみた紙片の上に・・・。かれは偉大なる〈屑集め人〉だった。煙草の吸いがらでさえ、彼には香りがあった。
桑野隆著「オペラのイコノロジー1 ボリス・ゴドゥノフ」(ありな書房)P183

当時、ボリスを演じさせれば右に出る者のいなかった不世出のバス歌手、フョードル・シャリャーピンはそう語る。

ムソルグスキーの傑作「ボリス・ゴドゥノフ」を、レオポルド・ストコフスキーが交響組曲として編み、オリヴァー・ナッセンがクリーヴランド管弦楽団と録音した実に魅力的なアルバムがある。ムソルグスキーの神髄は、オリジナル譜にこそあると確信していたストコフスキーは、オペラから6つの場面を採用し、魅力的な組曲として仕上げた。

第2曲「ボリスの戴冠式」の、ベートーヴェンも「ラズモフスキー」四重奏曲の主題で採用したロシア民謡の悲しげな旋律は、いつ聴いても神々しい。あるいは、第6曲「ボリスの死」での静謐ながら怒りに満ちた響きの厳しさはいかばかりか。ロシアの凍えるばかりの大地の巨大さと、それにまつわる精神の謳歌。ナッセンの思い入れ深い指揮に言葉がない。

ムソルグスキー:レオポルド・ストコフスキーによるシンフォニック・トランスクリプションズ
・組曲「展覧会の絵」(1939)(1995.11録音)
・交響組曲「ボリス・ゴドゥノフ」(1936)(1996.11録音)
—第1曲「ノヴォテヴィチー修道院の中庭—民衆はボリスに保護を求める—遠くから巡礼の合唱が聞こえる—巡礼の列が現れ修道院の中へ入ってゆく
—第2曲「ボリスの戴冠式」
—第3曲「チュードフ修道院の修道僧たちの歌」
—第4曲「カザンの戦い」
—第5曲「聖ワシーリー寺院の前の広場—白痴がロシアの運命を予言する—飢えた民衆がボリスにパンを求める
—第6曲「ボリスの死」
・歌劇「ホヴァンシチナ」第4幕への前奏曲(1922?)(1996.11録音)
・交響詩「はげ山の一夜」(1940)(1996.11録音)
オリヴァー・ナッセン指揮クリーヴランド管弦楽団

「ホヴァンシチナ」第4幕前奏曲は、ムソルグスキーの天才を如実に示す傑作だが、弦楽器の清澄さと重みが底知れぬ演奏が素晴らしく、とても感動的。そして、いかにもムソルグスキーらしい土俗的迫力を最優先するストコフスキーの編曲は「展覧会の絵」にも見事にはまる(第1曲プロムナードからラヴェルの壮麗な響きとは正反対で、主題は主に弦楽器を中心に語られ、あくまでモノトーンの、作曲家のオリジナリティを大事にしようとする意志が働くようだ)。ナッセンが言うように、僕たちはモーリス・ラヴェル版に洗脳され、あの洗練された響きこそがムソルグスキーの魂なのだと信じ込まされているのである。

ムソルグスキーはずっと私の大好きな作曲家です。特に「ボリス・ゴドゥノフ」は私の人生を変えました! そして、ストコフスキーの編曲—いくつかの点であまりにも自由ではあるものの—が持つ音色の大胆さは、ムソルグスキーの原曲がいかに独創的な音楽であるかということを改めて思い出させてくれます。ひょっとしたら私たちは、ラヴェルのあの素晴らしいオーケストレーションに少しばかりなじみすぎているのかもしれませんね。
東京都交響楽団サイトのインタビュー記事から

極めつけは第11曲「キエフの大門」。この、5分と少しの音楽が、喜びに満ち溢れ渋い音を表すのだから、おそらくこれこそ作曲者の本懐だったのだろうと想像する。ストコフスキーの、ナッセンのムソルグスキーへの愛情が手に取るように伝わるのだ。

オリヴァー・ナッセンが亡くなった。享年66。若過ぎる。

 

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