立秋を越えて、まだまだ暑いけれど少し秋の気配を感じた。
ここしばらくはドビュッシーに浸る予定。
以前は「食わず嫌いだった」ということがよくわかった。繰り返し聴くうちに、彼の創造する様々なフレーズがいつも頭から離れない。それほど鮮烈で斬新で、それでいて美しい。専門的に分析して説明はできないけれど、まったく飽きない。知れば知るほど底なし沼のようにはまり込んでゆく。もはや抜けられないかも・・・(笑)。
ドビュッシーの女性遍歴を覗いてみると面白い。
最初に同棲したギャビー・デュポンは、ドビュッシーの才能を早々と見抜き、様々な内職をして彼を助けたという母性の人。しかしながら、どういうわけかその彼女を捨て、結婚したのはリリー・テクシエという女性。独立心旺盛の彼女は決して裕福でない家計を支え、主婦としても完璧に夫に尽くしたというこれまた母性の人。
そこに、エンマ・バルダック夫人が突如現れる。社交界でも有名で音楽的才能にも長け、才媛だった彼女のことをドビュッシーが気に入らないはずがなかった。そしてまた彼はリリーまで捨て、エンマと駆け落ちする。
興味深いのは先の女性2人がいずれもそういう事態になった時にピストル自殺を図っているということ。ということは、彼女たちは本当にドビュッシーを愛していなかったのか?(想像を絶する扱いを受けたのだろうが、それにしても少し精神的に弱くないか?あるいは女性がそういう形でしか自己主張できない時代背景だったのか?)あくまで「自分のために」尽くしていたのか?この事実だけからは、彼女たちがドビュッシーの見返り欲しさにいろいろと尽力していたのだろうかと思えてしまう。しかし、それは「男性目線」。女性の視点に立った時に、いかにこの男がとんでもない人間だったかも想像できる。
昨日の記事に書いたドビュッシーの言葉、「私は結婚に不向きな人間だ。芸術家は自由でなければならない」というもの然り。
「前奏曲集」を生み出す1910年頃にはエンマとの関係は既に冷え切り、彼女は精神不安定に陥り、離婚まで考えたという。ドビュッシーのことは音楽でしか知らないが、その音楽評論などを読んでみると相当辛辣な部分もあり、一旦Noとなったら梃子でも動かず、例えば徹底的に無視する鬼のような面も持っていたのだろうな・・・。いやはや恐ろしい。
エンマとの蜜月の頃、愛するシュシュに捧げた「子供の領分」。数年前、ハイドシェックの実演を聴いた。何とも繊細で香気溢れる音色が素敵だった。独特の節回しで、決して一筋縄ではいかない解釈。冒頭の「子供の情景」同様、いかにも自身がいたずらっ子だったことを回想するかのようにリズムをゆらし、ルバートをかけ、聴く者を惑わせる(笑)。嗚呼、素敵。「ジムノペディ」はとても深い瞑想。そして、ターニャ夫人との連弾による「マ・メール・ロワ」のきらきら光り輝く音楽の粋!!ここにはジャズ音楽の萌芽が見える。
ご紹介の音盤、魅力的ですねぇ。
ハイドシェックもまだまだ私の中では発掘しなくてはいけないピアニストです。
しかし、マ・メール・ロワ…最高ですよね。
>ふみ君
ハイドシェックは必聴です。
今度お誘いします!