先日、いつものように流れるNHK-FMからフィッシャー=ディースカウの歌う「白鳥の歌」から『セレナーデ』が聴こえてきた。端っから痺れた。何とも美しくも胸躍らせる旋律と、ディースカウの、澄んで安定した声と。
このシューベルト最後の作品は何とも言えぬ清澄な雰囲気と、一方で信じられない愉悦感を包括する(少なくとも僕の感覚では)、まだまだ生を謳歌したいと願う青年作曲家の辞世の句にあまりに似つかわしい傑作であると僕は考える。そして、そのシューベルトの境地を直接につなぎとめてゆく存在こそがロベルト・シューマンその人だとあらためて思った。いずれはその形を変え、ヨハネス・ブラームスのある意味晦渋な世界に継承されてゆくのだが、特に1840年、「歌の年」と呼ばれる、ロベルトがその人生で最も幸福だった時期に生み出された「歌」の数々は、繰り返し何度聴いても新たな発見があり、人として生きてゆく上で大切な「こころ」を教えてくれる。
フィッシャー=ディースカウの歌う「詩人の恋」を久しぶりに聴いた。全集からの1枚。
この青春の調べを、ここまで端正に、しかも情感込めて歌われると、どんな女性もメロメロになるのでは?(笑)
ハインリヒ・ハイネの天才的な瑞々しい詩がシューマンの音楽を得て、ますます輝きを増す。ここには妻クララの献身的な愛と奉仕の影響が垣間見える。
素晴らしく美しい5月に
あらゆるつぼみが花開き
僕の心にも
愛が開花した、そう花咲いた。
素晴らしく美しい5月に
すべての鳥たちが歌い出し
そして僕は彼女に心開いた
憧れと希望と。
嗚呼、何と温かく、そして純粋な言葉よ。
それらに付けられた音楽がこれまた絶品!!
元気をいただける。よし、がんばろう・・・。
ちなみに、「詩人の恋」は16曲からなり、6曲目までが「愛の歓び」を、7曲目から14曲目までが「失恋の痛み」を、そして最後の2つが「青春への儚い郷愁」を描く。ここには「人の生き様」のすべてがある。
こんばんは。
「岡本さんと違い、F=ディースカウや吉田先生の死をなかったかのように、気楽に音楽の話をすることなんて、今のぼくにはできない」
金環日食が美しく見られたこの5月に、F=D、ロビン・ギブ、ドナ・サマー、畑中先生、吉田先生に続いて、今度は映画監督の新藤兼人氏が百歳で亡くなったとなると、人類が初めて月面に降り立った1969年7月に亡くなった著名人たち、この「逆同い年現象」を誘発したあの「特異月」に匹敵した出来事だったのではないでしょうか。
(改めて、1969年7月に亡くなった人々)
7月2日 – 成瀬巳喜男、映画監督(* 1905年)
7月3日 – ブライアン・ジョーンズ、元ローリング・ストーンズのギタリスト(* 1942年)
7月5日 – ヴァルター・グロピウス、建築家、アルマ・マーラーの元彼・元夫(* 1883年)
7月5日 – ヴィルヘルム・バックハウス、ピアニスト(* 1884年)
7月14日 – 坂本繁二郎、画家(* 1882年)
7月17日 – 市川雷蔵、歌舞伎役者・映画俳優(* 1931年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/1969%E5%B9%B4
シェーンベルク:《月に憑かれたピエロ》作品21
シューマン:《詩人の恋》作品21
シェーファー/オスターコーン/ブーレーズ/他
http://www.hmv.co.jp/product/detail/667791
「素晴らしく美しい5月に」は、シェーンベルク:《月に憑かれたピエロ》がよく似合うぜ、まったく、ってんだ。
>雅之様
こんばんは。
いつまでもくよくよはしておられません。
ロビン・ギブやドナ・サマーはともかくとして、こうやってみるとクラシック畑の方々は皆さん世に尽くして天に召されていらっしゃいますよね。僕はすばらしいことだと今はもう客観的に見れています。
確かにあの金環日食が引き金になった気はしますが。
僕は今あらためて思います。
こうやって日々音楽を聴きながらブログを書くのも、細々でありながらも市民講座でお話しさせていただくのも、すべては(クラシック)音楽の素晴らしさを一人でも多くの方々に知ってもらいたいという想いから始まっています。
吉田先生もあの世から「いつまでもめそめそせず、もっと音楽について語り、良い音楽をたくさんの人々に聴いていただけるよう努力しなさい」と言っておられるのではないでしょうか。
ところで、おっしゃるように2012年5月は1969年7月に匹敵しますね。興味深いです。
>「素晴らしく美しい5月に」は、シェーンベルク:《月に憑かれたピエロ》がよく似合うぜ
だいぶ前にお借りしたあれですね。
今一度じっくり観てみたいものです。
ありがとうございます。