グールドのベートーヴェン「田園」ソナタ(1979録音)ほかを聴いて思ふ

トリストラム、シャンデーと云う書物のなかに、この書物ほど神の御覚召に叶うた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力で綴る。あとは只管に神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見当が付かぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。従って責任は著者にはないそうだ。余が散歩も亦この流儀を汲んだ、無責任の散歩である。只神を頼まぬだけが一層の無責任である。
夏目漱石「草枕」(新潮文庫)P129-130

第1楽章アレグロのあまりに優しき調べ。展開部には晩年の「ディアベリ変奏曲」の楽想の一片が聴こえる。「田園」ソナタニ長調。
恐怖と闘うベートーヴェンの穏やかな一面。当時、恋愛関係にあったといわれるジュリエッタ・グイチャルディへの想いが刻まれるのだろうか。
明暗・陰陽の相克は、全人類が抱えるテーマだが、ベートーヴェンがひとたび安寧の極致に意識を措いたときに創造される作品の自由な飛翔は、人々の魂に幸なる刺激を与えてくれる。

ただ耳の方は、昼夜を分かたずざわめき、ぶつぶつ(sausen und brausen)いっている。僕は惨めな生活を送っていると言うべきだろう。僕は自分が聾です、とはとても人には言えない。だからこの2年来すべての社交というものはほとんど避けてきた。何かほかの職業にたずさわっているのならまだしも、僕の仕事では、これは恐ろしい事態だ。僕には少なからざる敵がいるが、彼らがこれを知ったら何と言うだろう!
(1801年6月29日付、ボンのフランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラー宛)
小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(上)」(岩波文庫)P72

苦悩の内面が親しき友に吐露される。

僕の生活は音楽三昧で、一曲が成るか成らぬに、もうほかの曲にかかっている。今みたいに、時として三つ四つを一緒に作曲する。—では時々手紙を下さい。僕も暇を盗んで折々書くようにこれから心掛けよう。皆さんによろしく。善良な宮廷顧問官夫人にも、ぼくは今でも時々発狂(Raptus)する、とお伝え下さい。
~同上書P75

彼の言う「発狂」という「躁状態」こそが、後のロベルト・シューマン同様、想像の源泉であったのだろう。そして、創造行為そのものは、ベートーヴェンの一種のストレス解放の手段であったのだ。

グレン・グールドの魂は、ベートーヴェンの魂に同期する。
彼は、結果的にソナタの全曲を録音することができなかったが、最晩年に収録した「田園」ソナタには、特別の愛情が注がれる。丁寧に、そして決してエキセントリックにでなく、音楽を因数分解したうえで新たにグールド風の味付けをしながら再構築し、途轍もない名演奏を聴かせてくれるのである。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調作品2-1(1974.11.9録音)
・ピアノ・ソナタ第3番ハ長調作品2-3(1976.8.13&1979.8.5録音)
・ピアノ・ソナタ第2番イ長調作品2-2(1976.7.10録音)
・ピアノ・ソナタ第15番ニ長調作品28「田園」(1979.6.13&7.13録音)
グレン・グールド(ピアノ)

ソナタ第1番ヘ短調。第2楽章アダージョの、いつもの彼同様、ポツポツと、機械仕掛けのように途切れる音楽は愛らしく、不思議にとても心に沁みる。あるいは、第3番ハ長調第2楽章アダージョの沈潜しゆく楽想には、黙考するグレン・グールドの祈りの念が刻まれる。美しい。

自力と他力の合一にこそ、名演奏の鍵があるように僕は思う。

 

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