ラヴェル指揮ラムルー管 ラヴェル ボレロ(1930.1録音)

「夜のガスパール」を書いたルイ・ベルトラン(1807-41)は「道」の真髄を知っていたように思われる。もちろんそれは「知っていた」に過ぎないのだけれど。
詩集「牧羊神」から「錬金道士」なる散文詩。

吾徒の術を修する法二あり。一は師に就いて口より口へ授かり、はたまた悟徹と示現とによつて過を知らんとす。また一の法は斯の道の書を讀むにあれど、其文難解にして頗る晦澁なれば、人もしここに理と眞とを求めんとすれば、其心まず精緻にして根氣よく勤勉にして且つ細心ならざる可からず。
ピエロ・ヸコ「哲學奥義解」

まだいかぬ―而もわが身は三日三晩のその間、燈火の薄暗い光のもとにライムンド・ルルリの秘宝書を繙いてゐた。

どうもいかぬ、唯ちらちらする蘭引の滾る音につれて、火蛇の精の嘲笑が聞えるばかり。彼はわが冥想を亂さうとして戯弄するのか。

或時は彼、わが鬚の中に爆發物を仕掛け、また或時は其弩よりして、わが上衣の上に火矢を放つ。

また彼が其武具を磨き立ててゐる時は、爐の下の灰が、呪文書の紙の上、机に載せた墨汁の中に吹きつけて來る。

その時蘭引はいよいよ、ちらついてきて、滾り嘯く其聲は、聖エロイ様の火箸で鼻を撮まれた鬼の泣聲によく似てゐる。

然しまだいかぬ―そしてわが身はもう三日三晩その間、燈火の薄暗い光のもとにライムンド・ルルイの秘宝書を繙いてゐよう。
山内義雄・矢野峰人編「上田敏全訳詩集」(岩波文庫)P319-321

ピエロ・ヴィーコなる哲学者が一体何者なのか残念ながら僕は知らない。
しかし、少なくともここには大きな真理が横たわっており、その句を冒頭においてライムンド・リュイの秘宝書を繙くベルトランの姿に僕は感銘を受ける。リュイはコンピュータのもとたる二進法の研究者たるゴットフリート・ライプニッツに影響を与えたというのだから、それは自ずと易学につながり、すなわちそれは「道」につながっていることが理解できるのである。

それにしてもベルトランの遺作である「夜のガスパール」に音楽を附したモーロス・ラヴェルの慧眼よ。
ラヴェルの自作自演を聴く。

・ラヴェル:ボレロ
モーリス・ラヴェル指揮ラムルー管弦楽団(1930.1録音)

1世紀近く前の録音とは思えぬ鮮明さ。
ラヴェルの指揮は奇を衒わず、この傑作をインテンポで見事に再現する。
自作自演が必ずしも名演奏ならずという定説(?)を翻す正真正銘の「ボレロ」。
時代の要請もあるのだろうが、(特に後半トゥッティで旋律が奏される直前)金管群のソロにポルタメントをかけているのが面白い。なるほどジャジーだと感心した。

「ボレロ」とは人生そのものだと思う。
毎日ルーティンをこなす中で、同じ日は一度たりともなく、そしてまたいつも新たな発見があり、終末にしたがってクレッシェンドしていく様子に僕は喜びを感じる。ルイ・ベルトランに感化されたラヴェルは、「皆大歓喜」の音楽による創発を目指していたのではないかとふと思った。モーリス・ラヴェル149回目の生誕日に。

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