ぼくは今、バッハのフーガの蒐集をしています—ゼバスティアンのだけではなくエマーヌエルやフリーデマン・バッハのも。それからヘンデルのも。そしてぼくのところには、この(一語欠損)だけが欠けています。そしてぼくは男爵には、エーバリーンのものも聴かせてあげたいのです。イギリスのバッハが亡くなったことは、ご存じでしょうね。音楽の世界にとって惜しむべきことです!
(1782年4月10日付、ヴィーンのヴォルフガングからザルツブルクの父レオポルト宛)
~柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P54
切磋琢磨。モーツァルトの時代にあって、バッハ家の音楽は作曲家としての技術を錬磨する拠りどころだった。エマーヌエルやフリーデマンとは知りあう機会がなかったものの、1764年、8歳の少年ヴォルフガングはロンドン旅行の際、クリスティアン(ロンドンのバッハ)とは面識を果たしたようだ。
当時のスタイルとは異なる、19世紀風重厚浪漫なヨハン・クリスティアン・バッハの「シンフォニア」。第1楽章アレグロ・アッサイ、躍動と喜びの刻印された生命力溢れる音楽の粋。また、第2楽章アンダンテの、決して粘らぬ、しかし深々とした祈り。そして、洋々たるテンポで前進する第3楽章プレストの安心。
オーパス蔵盤の驚くべき情報量。
1930年頃の、いわゆる電気式の旧い録音であっても、鑑賞に耐え得る音響の愉悦。音楽とは文字通り喜びの世界の体現だ。
・J.C.バッハ:シンフォニア変ロ長調作品18-2(1929.1.16録音)
ウィレム・メンゲルベルク指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
・ラヴェル:ボレロ(1930.5.31録音)
ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
・R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」作品40(1928.12.11-13録音)
シピオーネ・グィーディ(ヴァイオリン独奏)
ウィレム・メンゲルベルク指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
小太鼓以上にチェロのピツィカートを強調した「ボレロ」は、センス満点。あまりに主観的な演奏は、さすがにテンポの恣意的な揺れは少なく、同年1月録音の作曲者自作自演と比較しても、音楽が一層生き生きと、かつ瑞々しく響く。終結に向かって小気味良くクレッシェンドする様にメンゲルベルクの天才と閃きを思う。
常に100%実行せねばならない。75%くらいではいけないのだ。
(ウィレム・メンゲルベルク)
~デイヴィッド・ウルドリッジ著/小林利之訳「名指揮者たち」(東京創元社)P222
極めつけは1928年の「英雄の生涯」!!
メンゲルベルクとコンセルトヘボウ管弦楽団に献呈されたこの作品を、指揮者は見事に、そして、いつものように執拗なポルタメントを駆使して、あまりに濃密な表現を試みる。オーパス蔵の復刻が素晴らしいせいか、90年前の録音と言えど、何と生々しく響くことか。
「英雄の伴侶」での、愛情満ちる粘り。
「英雄の戦場」での、金管のファンファーレの煌きとずしんと響く重低音。
そして、「英雄の業績」での、軋むほどにうねる弦楽器の確信に満ちた音調。
終曲「英雄の隠遁と完成」は、何と言っても憧憬溢れるグィーディの独奏ヴァイオリンの歌に痺れる。合いの手のホルンの音色がまた美しい。
世界にはもともと喜びしかない。
ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。
[…] ヘボウ管の奏でる音は厳しく、どこか暗い)。 そして、自作自演の「ボレロ」の絶妙なテンポ設定。ラヴェルは、メンゲルベルクの同年5月の録音同様チェロのピツィカートを強調する。 […]