メンコン初稿版

mendelssohn_v_concerto_hope.jpg机の上で知恵を絞って物事を考える作業、そして外でいろいろな人に会い話を詰めてゆく作業、さらにフィードバックをいただき、再構築し、納得のゆくものに仕上げてゆく作業。

ひとりで考えていると何でもついつい煮詰まってくる。人の意見を聴き過ぎて軸がぶれるのも困りものだが、別の視点から考えてみるという柔軟性は大事。

今年に入って、水面下でいろいろなことが動き始めている。仕事についても様々な方面からチャンスをいただくが、「自分がもっているもの」をいかに有効活用し、人様に喜んでいただけるものをどれだけ構築できるかがやっぱり鍵だろう。あとは、ライフワークとなる「人間力」講座をいかにスムースな形でお客様を動員できるように形作るかが課題。世の中の状況から考えると、転職支援と婚活支援あたりがキーワードになりそうだが、まずは前者から目に見える形にする予定。

僕が考える「転職支援」というのは、必ずしも「企業から企業への転職」に限らない。平日は一般企業で働き、週末は別の「やりたい仕事」をするという週末起業家という形だってありだし、思い切って独立するという形だってある。もっている「才能」を自覚し、どうやって、そしていかに世の中の役に立つかを、「人間関係力」という視点でとらえてサポートしたい。まずは「自己分析」。自分の「強み」を知り、「やりたいこと」を知ること。

ロベルト&クララ・シューマンについてあらためて勉強しているうちに、天才と言われる作曲家でも、そこには試行錯誤があり、絶え間ない推敲の下、結果的に傑作と言われる作品が生み出されているのだということを再確認した。もちろん与えられた天分というものはあるが、その天分を自覚し、あとはどれだけ努力できるかだろう
(それはスポーツの世界だって同じだと思う)。
ロベルト・シューマンは20歳のときにパガニーニの演奏を聴き、自身の心の声に正直に生きると決心
した。同時代にはメンデルスゾーンやリストという優れた音楽家もいた。もちろん当時大ピアニストとして名を馳せていたクララという存在も常にそばにあった。身近な人間との関係、様々な葛藤からいろんなことが起こるが、人はそうやって才能を開き、成長してゆくもの。認める「誰かの存在」が大切。

ところで、メンデルスゾーンの有名なヴァイオリン協奏曲の1844年原典版を初めて聴いた時驚いた。一般に知られている、僕が高校生のとき初めて聴き感動したあの音楽は、練りに練られた後の最終形で、初めて舞台にかけられたときはこんなに違うものだったのかと吃驚した。よくよく考えればそんなことは当たり前のことなのだが、刷り込みというのは恐ろしい。最初の形、途中の形、そして完成形。ひとつの形がインプットされてしまうと、なかなかそれ以外のものに対応しにくくなるが、概念を捨てて、生まれたままの姿(と言って良いかどうかわからないが)によるメンコンをまっさらな気持ちで聴くといかに新鮮か・・・。

メンデルスゾーン:
・ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64(1844年初稿版)
・八重奏曲変ホ長調作品20(1832年改訂版)
・3つの歌曲~「魔女の歌」、「ズライカ」、「歌の翼に」(ヴァイオリン&ピアノ編曲版)
ダニエル・ホープ(ヴァイオリン)
セバスティアン・クナウアー(ピアノ)
トーマス・ヘンゲルブロック指揮ヨーロッパ室内管弦楽団

理知的で踏み外しのないクールな演奏に聴こえるが、実に内面から噴き出すようなパッションが感じられる。生の喜びに溢れるというか・・・。この音盤を聴いてダニエル・ホープの実演を聴いてみたくなった。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>ひとりで考えていると何でもついつい煮詰まってくる。人の意見を聴き過ぎて軸がぶれるのも困りものだが、別の視点から考えてみるという柔軟性は大事。
音楽の趣味も同じですね。
・・・・・・であればこそ、今の時代にあって何より大切なのは、自分が一体どの歴史/文化の文脈に接続しながら聴いているのかをはっきり自覚すること、そして絶えずそれとは別の文脈で聴く可能性を意識してみることだと、私は考えている。言い換えるなら、「無自覚なままに自分だけの文脈の中で聴かない」ということになるだろう。自分が快適ならば、面白ければそれでいいという聴き方は、やはりつまらない。こうしたことをしている限り、極めて限定された音楽(=自分とたまたま波長が合った音楽)しか楽しむことは出来ない。時空を超えたコミュニケーションとしての音楽の楽しみがなくなってしまう。むしろ音楽を、「最初はそれが分からなくて当然」という前提から聴き始めてみる。それは未知の世界からのメッセージだ。すぐには分からなくて当然ではないか。快適な気分にしてもらうことではなく、「これは何を言いたいんだろう?」と問うことの中に意味を見出す、そういう聴き方を考えてみる。「音楽を聴く」とは、初めのうち分からなかったものが、徐々に身近になってくるところに妙味があると、考えてみるのだ。こうしてみても初めのうちは退屈かもしれない。音楽など自分と波長の合うものだけをピックアップして、それだけを聴いていればいい――それも一つの考え方だろう。だが「徐々に分かってくる」という楽しみを知れば、自分と波長が合うものだけを聴いていることに、そのうち物足りなくなってくるはずである。これはつまり自分がそれまで知らなかった音楽文化を知り、それに参入するということにほかならない。・・・・・・
(中略)
・・・・・・初めは理解出来ずとも、まずはそれに従ってみることによって、徐々にさまざまな陰影が見えてくることもある。それらの背後には何らかの歴史的経緯や人々の大切な記憶がある。このことへのリスペクトを忘れたくはない。「こういうものを育てた文化=人々とは一体どのようなものなのだろう?」と謙虚に問う聴き方があってもいい。歴史と文化の遠近法の中で音楽を聴くとは、未知なる他者を知ろうとする営みである。・・・・・・(岡田暁生 著『音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 』 中公新書 172~173ページより)
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名著です。超おススメ本です。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、ご紹介のような盤で聴くと、協奏曲ではよくあることですが、作曲家と演奏家による共同作業で曲が作られていく過程がよく理解できますよね。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>岡田暁生 著『音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 』 
これは面白そうですね。早速読んでみます。
情報ありがとうございます。
>作曲家と演奏家による共同作業で曲が作られていく過程がよく理解できますよね。
おっしゃるとおりです。音楽を聴く楽しみここにあり、ですよね。

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