クレンペラー指揮フィルハーモニア管のバッハ ブランデンブルク協奏曲(1960録音)ほかを聴いて思ふ

ところがね、ぼくは死の問題において彼らに期待していませんよ。つまり彼らが革命のために死ぬかどうかという点を、ぼくはずっと注意して見てきたけれど、彼らは革命のためには死なないね。明治維新のときは、次々に志士たちが死にましたよね。あのころの人間は単細胞だから、あるいは貧乏だから、あるいは武士だから、それで死んだんだという考えは、ぼくは嫌いなんです。どんな時代だって、どんな階級に属していたって、人間は命が惜しいですよ。それが人間の本来の姿でしょう。命の惜しくない人間がこの世の中にいるとは、ぼくは思いませんね。だけど、男にはそこをふりきって、あえて命を捨てる覚悟も必要なんです。維新にしろ、革命にしろ、その覚悟の見せどころだとぼくは思うんだが、全共闘には、やっぱり生命尊重主義というか、人命の価値が至上のものだという戦後教育がしみついていますね。
「三島由紀夫 最後の言葉」
「決定版 三島由紀夫全集40」(新潮社)P759-760

50年近く前の、鮮烈な思想も、今となってはそのあまりの偏りに疑問を呈さざるを得ないが、それを言い切り、実行に移した彼の覚悟とは本物だったのか、それとも似非だったのか。
三島は次のようにも言う。

それで、ニーチェですが、彼がギリシャにおけるディオニソス的な世界を発見するまで、ギリシャと言えばアポロン的なものだけが考えられていたわけです。つまり、ゲーテのころ、ヴィンケルマンのころ、ヘルダーリンの時代のころまでは一元論的なギリシャですが、ニーチェが出現して初めて二元論的なギリシャが成立した。ぼくはこの二元論的なものが、ヨーロッパの影響としていちばん本質的に根づいてしまったんです。もともと日本人というのは、非常に二元論的な考え方を嫌うタチなんです。でも、よくさがしてみると、文武両道というようなおもしろいことも言っている。これはもうニーチェだと思ってね、(笑)つまり日本的リアリズムというものをぼくは考えるようになったんです。日本人はなんでも一つにしちゃうんですよ。一つにするのは結構なんだけれど、こんなに世の中がすべて相対主義になってくると、一つにするという考え方自体が、もう相対主義の中に完全に埋没されてしまうんです。
~同上書P769

時代の趨勢もあろうが、三島と言えど、まんまとその流れに乗っかってしまった事実が興味深い。いかに相対から離れられるか。それが21世紀的生き方の源泉であるように僕は思う。この対談からわずか1週間後に三島由紀夫は割腹自殺を選択する(というか、この対談の時点で腹は決まっていたのだろうが)。1970年11月25日水曜日のこと。

それから4年の後、英国では一人の無名な(?)天才ミュージシャンが、抗鬱剤の大量摂取がもとで命を落とす。1974年11月25日月曜日のこと。
ニック・ドレイク、享年26。自身の才能を信じていた彼は、世間のあまりに低い評価に自己不信に陥り、神経衰弱を発症したという。純粋無垢の天才は、おそらく二元的西洋世界の餌食になったのだとも言えまいか。そもそも善も悪もなく、明るいも暗いもない世界において、人間が狭い認知の中で生み出した独断的評価に杞憂すること自体がそもそもナンセンスなのだ。残された3枚のアルバムと、遺作となった最後の(赤裸々な)アルバムをただ無心に聴いてみよ。

昔、初めて彼の音楽を聴いたとき、暗澹たる音調に滅入ったが、一方で、妙に色気を感じさせる歌に僕は心が震えた。シンプルさの中に垣間見る光と翳。

・Nick Drake:Time Of No Reply (1987)

Personnel
Nick Drake (vocals, acoustic guitar)

1974年2月に録音された、最後の4曲の歌は未完成な印象ながら、それがまた強烈なリアリティを放つ。死後、何年も経ってからリリースされたこのアルバムには、生きることの切なさと、生きることへの望みが交錯し、映されている。とにかく全編が儚く、美しい。

おお、わが「苦悩」よ、ききわけて、静かなれ。
おん身、「夕暮」を待ち侘びたるに、
いま、日は暮れて、夜となる。暗きかげ街を被う、
ある者に安息を、ある者に不安をば、もたらして。
「沈思」
堀口大學訳「ボードレール詩集」(新潮文庫)P152

ニック・ドレイクはまたシャルル・ボードレールの詩を愛したという。なるほど、納得だ。

ところで、ニックが亡くなったその日、愛用のターンテーブルにはJ.S.バッハの「ブランデンブルク協奏曲」が載せられていたというのは有名なエピソード。ただし、その音盤が、誰のいつの演奏なのかは残念ながら不明だ(たぶん)。しかしながら、それはカール・リヒターの名録音でもなければ、当時流行り始めた古楽器演奏によるレオンハルトやクイケンたちのものでもなかっただろう。おそらくオットー・クレンペラーの演奏ではなかったのだろうかと、僕は勝手に想像している。

何の根拠もないけれど、クレンペラーの古楽器演奏とは対極の、かなり遅いテンポながら(予想に反して)オーケストラの人数を刈込み、できるだけ軽快に音楽を進めようとする強い意志力の感じられる演奏は、これこそニックが求めた、明暗のバランスがとれた、最高のバッハ表現の一つだと思うゆえに。時代遅れというなかれ。

J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲集
・第1番ヘ長調BWV1046(1960.10.3-4録音)
・第2番ヘ長調BWV1047(1960.9.30 &10.1, 11録音)
・第3番ト長調BWV1048(1960.10.4-5録音)
・第4番ト長調BWV1049(1960.10.6-7録音)
・第5番ニ長調BWV1050(1960.10.7-8録音)
・第6番変ロ長調BWV1051(1960.10.5, 8-9録音)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

例えば、寂寥感漂う第5番ニ長調BWV1050第1楽章アレグロのゆったりとした美しさ。続く、第2楽章アフェットゥオーソにおけるギャレット・モリスのフルート独奏とジョージ・マルコムのチェンバロ独奏の対話に、ヒュー・ビーンのヴァイオリンが重なるシーンの哀切極まる音調!そして、終楽章アレグロの堂々たる歩みの浪漫。あるいは、第6番変ロ長調BWV1051の、全編を通じての愛すべき弦楽合奏の優しさ!

ちなみに、僕がニック・ドレイクを知ったのは、1985年にヒットしたドリーム・アカデミーの名曲”Life In A Northern Town”が、彼に捧げられた楽曲だったことから。

 

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