真に「立つ」には他力が必要だ。
他力あっての自力だということを忘れてはならない。
同時代に拒否されたブルックナーには、数少ない信奉者があり、いろいろな意味で彼らが彼の創造物を救った。同様に、マーラーにも弟子や同志がいて、彼の類稀な創造物の普及に努めたおかげで、時を経て「時代が訪れた」という経緯がある。「果報は寝て待て」というが、何もしないで、黙っていながらにして何かが起こるわけでもなかろう。それこそ「共同体感覚」のなせる業とでもいうのか、周囲の力があってのシナジーであり、それゆえに自力というものが成立するのである。
ハンス・ロット君は、その優れた才能、勤勉さ、そして純粋な精神によって、音楽院における勉学の期間に芸術に関するさまざまな法則を身につけただけでなく、しっかりした技術による音楽演奏、特にオルガンの演奏において、非常に高い成果を収めたのであります。
(1880年3月12日付、ブルックナーによるハンス・ロットのための推薦状)
少なくともオルガン演奏に関しては大いなる才能が大作曲家によって認められていたことがわかる。ただし、作曲家としてはどうだったのか?
ロットが亡くなったときに、マーラーが語った言葉が残されている。
彼を失ったことで音楽のこうむった損失ははかりしれない。彼が20歳の時に書いたこの最初の交響曲でも、その天才ぶりはすでにこんなにも高く羽ばたいている。僕が見るところ、この作品は—誇張ではなく—彼を新しい交響曲の確立者にするほどのものだ。
果たしてこれがマーラーの本心なのかどうかはわからない。「誇張ではない」とエクスキューズはあるものの弔辞としての「世辞」が入っていないとも限らない。しかも、マーラーは次のようにも言うのだ。
彼は僕と心情的にとても近いので、彼と僕とは、同じ土から生まれ、同じ空気に育てられた同じ木の2つの果実のような気がする。
~同上ライナーノーツ
僕の印象は、マーラーとは似ても似つかぬ音楽だということ(旋律や音調はむしろマーラーこそが拝借したのだろう)。もしもロットが、せめてマーラーぐらい生きることができていたら、確かに音楽史は変わったのかもしれない。交響曲第1番を聴く限り、僕には、マーラーのような「分裂気質」が感じられず、むしろ一個の統一体として十分に機能している。
ハンス・ロットの名前が歴史の溝に埋もれてしまったのは、そのあまりにも早い死のためであり、また、自己批判が強かった彼が納得のいかない習作の多くを破棄してしまっていたからだろうと僕は思うだ。
ハンス・ロット:
・交響曲第1番ホ長調(1878-80)
・管弦楽のための前奏曲ホ長調(1876)(世界初録音)
・「ジュリアス・シーザー」への前奏曲(1877)(世界初録音)
セバスティアン・ヴァイグレ指揮ミュンヘン放送管弦楽団(2003.12.4, 5, 7 &2004.1.7録音)
楽章を追うごとに音楽は質量ともに巨大化する(冗漫さを感じさせないこのバランス感覚が僕は素晴らしいと思う)。中でも、22分半に及ぶ圧倒的な終楽章は、前出の楽章の主題が回帰し、相当な重量級の音楽にもかかわらず、(仮にマーラーと比較しても)とてもわかりやすい。
しかし、それは「現代の耳」でこそのこと。実際、本曲に対してのブラームスの評は実に厳しいもので、それによって落胆するロットの姿が何とも痛々しい。
この作品には美しい部分が数多くあるが、それと同じくらいナンセンスな部分も含まれている。だから、美しい部分は君自身が作曲したんじゃないんだろう。
いくら何でも言い過ぎのような気もするが、構成的には確かにブラームスの言う通りなのだろう。しかし、何より辛いのは「君が作曲したのではないんだろう?」という疑惑の目だ。ブラームスのこの言葉が、結果として彼の精神の崩壊の引き金になったという事実が悲しみを助長する。
セバスティアン・ヴァイグレは、来季から読響の常任指揮者に就任する。楽しみだ。
※太字は、BVCE-38080ライナーノーツより引用
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