勇気、からだがどんなに弱っていようとも精神で打ち克ってみせよう。25歳、それは男たるすべてがきまる年だ。悔をのこしてはならぬ。
(1795年12月)
~小松雄一郎訳編「ベートーヴェン 音楽ノート」(岩波文庫)P8
ベートーヴェンの不屈の精神の源泉は「勇気」だ。
それにしても、25歳のベートーヴェンの決意は、何て強靭なのだろう。
随所にベートーヴェンらしさ、個性は反映されるものの、ハイドンやモーツァルトの影響下にある3つの弦楽五重奏曲(2曲がほかの室内楽曲からの編曲作品、その後、満を持して創作した作品29)たち。
果たしてベートーヴェンはなぜ弦楽五重奏曲というジャンルから身を引いたのだろう?(モーツァルトは傑作揃いとはいうもののわずか6曲、ハイドンに至っては1曲も残していないという不思議)
ところで、ほとんど作者の空想の中の物語だろうが、ロマン・ロランの表現は、いかにもベートーヴェンの性質を言い当てており、興味深い。
ベートーヴェンはその魂の中に清教徒的な或るものを持っていた。卑猥な思想や談話は彼を身顫いさせた。恋愛の聖性については強硬な考えをもっていた。モーツァルトが「ドン・ジョヴァンニ」を書いてその天才を濫用したことをベートーヴェンは赦さなかったといわれている。彼の親友だったシントラーは確言している—「彼は一種の処女的な羞みをもって生涯を過ごし、弱点に負けて自己を責めるような羽目に陥ることは無かった」と。しかもこんな人間が恋愛の熱情の、欺かれやすい犠牲となるのにはあつらえ向きにできていた。彼はまさにそういう犠牲であった。絶えまなく熱烈に恋心にとらわれ、絶えまなく恋の幸福を夢みながら、たちまちその幸福の夢の果敢なさを悟らされ、苦い悲しみを味わさせられていた。彼の天性の激しさがやがて憂鬱を帯びた諦めの静かさに行き着く年齢に達するときまでは、恋ごころとそれへの誇らしい反抗との交互作用の中にこそ、ベートーヴェンの霊感の最も強大な源泉が見いだされるのである。
~ロマン・ロラン著/片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯」(岩波文庫)P31
少なくとも僕の耳では、作品29には(また編曲作品である作品104、作品4にも)、熱く燃える恋の炎の音は聴きとれるものの、苦い悲しみの音は見事に聴こえない。そうなるとここには、霊感の発露たる「交互作用」が見られないということになる(しかし、そんなことは彼がこのジャンルに見切りをつける理由にはななるまい)。
ベートーヴェン:弦楽五重奏曲全集
・弦楽五重奏曲ハ長調作品29(1801)
・弦楽五重奏曲ハ短調作品104(ピアノ三重奏曲作品1-3からの編曲)(1817)
・弦楽五重奏曲変ホ長調作品4(1794-95)
・弦楽五重奏のためのフーガニ長調作品137(1817)
・ヴィオラとチェロのための二重奏曲変ホ長調WoO32(1797)
・2つのヴァイオリン、チェロとコントラバスのための6つのレントラーWoO15(1802)
チューリヒ弦楽五重奏団
ボリス・リフシッツ(ヴァイオリン)
マーチャス・バルタ(ヴァイオリン)
ズヴィ・リフシッツ(ヴィオラ)
ドミニク・オステルターク(ヴィオラ)
ミカエル・ハクナザリャン(チェロ)(2004.11録音)
音楽は終始青春の喜びに溢れる。
それよりも、(ひょっとすると、この編曲を機にベートーヴェンは弦楽五重奏曲への道を再び開かんとしたのだろうか)作品104は編曲時期が1817年だけあり、どこか後期作品の風趣漂うところが興味深い。何という色艶!(短いフーガ作品137を聴くと、やはり彼はこのジャンルにあらためて挑戦しようと目論んでいたとしか思えない!)
チューリヒ弦楽五重奏団の演奏はとても律儀。
一音たりとももらすまいと、そして、ベートーヴェンの心を確実に音化せんと、思いを込めて音楽を創造する姿勢がとても美しい。いかにもハイドンを思わせる作品104第2楽章アンダンテ・カンタービレ・コン・ヴァリアツィオーニの可憐で素朴な旋律美。
そして、25歳のベートーヴェンの、勇気ある挑戦的なアレグロ・コン・ブリオに始まる作品4(管楽八重奏曲作品103からの編曲)の流麗さと優雅さ。第2楽章アンダンテの秘かな悲しみ。
ベートーヴェンがなぜ弦楽五重奏曲というジャンルから身を引いたのか。それは、特に身を引いたわけではなく、偶々そういう機が巡って来なかったのに過ぎないということだ。そういうことで無理矢理自らを納得させておこう(どなたか詳しい方ご教示ください)。
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