パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団第1906回定期演奏会

「松鶴は死んでもずっとこうやって語り継がれ、生きている」というのは笑福亭鶴光の言葉だが、真の天才は、弟子や仲間を通じて末世にまで生き続けるものだ。
一体誰が媒介となるのか。ハンス・ロットにとっては、師アントン・ブルックナーや、あるいは同志グスタフ・マーラーだった。その音楽には、確かに師からの影響があり、もちろん先達からの知恵もある。同時に、仲間たちに多大な影響を与えたのだろう、マーラーの後の音楽作品の片鱗すら垣間見えるのである。

退廃と絢爛美を纏う音楽には19世紀末欧州の匂いがあった。もちろん僕はそこには居合わせることができなかったが(残念ながら)、何とも懐かしい音調に終始ため息が洩れた。1864年生まれのリヒャルト・シュトラウスと、1858年生まれのハンス・ロット。二人の青年時代の作品が穏やかに、優美に、時に轟音を添えて大きなホールを揺るがした。

リヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン協奏曲。そこには夢があった。
驚くべきはこの作品が17歳の青年の手によるものだということ。新しい方法、というよりむしろ、従来の形式と因習を踏襲した作品なのだが、音楽的には十分成熟しており、何より歓喜に溢れるところがとても素晴らしい(とあらためて思った)。もちろんシュトラウスの個性はまだまだ全開ではない。しかし、彼の才能は本物であり、ヴィルトゥオジティ、聴衆への感化度など、後の独自のスタイルを想像させるに足る瞬間は多々あったことを書き留めておく。芯の太い、アリョーナ・バーエワのヴァイオリンは、一切のぶれなく、とても美しく、また力強く、そして香気放ち鳴っていた。

NHK交響楽団第1906回定期演奏会
2019年2月10日(日)15時開演
NHKホール
アリョーナ・バーエワ(ヴァイオリン)
白井圭(コンサートマスター)
パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団
・リヒャルト・シュトラウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品8(1882)
休憩
・ハンス・ロット:交響曲第1番ホ長調(1878-80)

片や、ハンス・ロット、22歳のときに書き上げられた交響曲ホ長調。
実演に触れあらためて思ったことは、全体的な求心力にはやや欠けるものの(やはり習作の域を出ないのか?)、随所に現われる旋律の美しさと、鷹揚に拡がり行く音楽の力強さを内在している作品だということ。精神的に決して強いとは言えないロットは、独自の繊細な感覚を用い、あくまで未来を見据えて音楽を創造していたのであり、その意味ではアントン・ブルックナーの方法に近いものがあったのだ。

音楽は楽章を追うごとに徐々に生気と希望溢れるものに変容していった。その様をじっと息を凝らして聴きながら、僕の意識は過去と未来を行き来していた。不思議に懐かしさを感じ、一方でとても冷静に、当時の専門家たちが嘲笑したことに確かに全面的には否定できないという僕がいた。
いや、問題などどこにもあろうはずがない。130余年を経て、ようやく時代は彼の作品を「余裕で」受け入れられるようになったのだ。

諸君、笑うのはよしたまえ。君たちは今後この人物が創り出す素晴らしい音楽を聴くことになるのだから。
~アントン・ブルックナー(1878)

それにしても、全曲を通して輝かしいトランペット独奏が素晴らしく、またホルンやトロンボーンをはじめとする金管群の壮絶な咆哮、さらには、ティンパニの止めを刺さんというばかりの音にも痺れた。パーヴォは相変わらず巧い。

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ


1 COMMENT

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください