Emerson, Lake & Palmer “Works” (1977)を聴いて思ふ

空中分解寸前のグループの、不甲斐ない寄せ集め的なアルバムだと、初めて聴いたとき僕は判断した。アイディアも集中力も、もちろん組織の求心力も、長く維持するのは大変な努力と才能によるものだ。それがもはや感じられないと思ったのだ。

・Emerson, Lake & Palmer:Works (1977)

キース・エマーソンが鬼籍に入り、グレッグ・レイクも追うように逝き、残るはカール・パーマーだけとなった今、久しぶりに問題作「ワークス」を聴き、あのときも一人カールだけが気を吐いていたのだと実感した。

様々なジャンルの音楽を吸収したカール・パーマーのドラミングはいかにも彼だとわかるもので、冒頭からセンス満点。プロコフィエフの「スキタイ組曲」第2曲「邪教の神、そして悪の精の踊り」をアレンジした“The Enemy God Dances With The Black Spirits”の芯から発せられる強力なエネルギーに、「ワークス」も捨てたものではないと感心した。また、キース・エマーソンとの共作”L.A. Nights”の推進力も並みでない。あるいは、ハリー・サウスとのバッハの2声のインヴェンションの軽快かつジャジーな試みの粋。これこそ癒しだ。

ロシア・モダニズムの記念碑的作品。セルゲイ・ディアギレフの勧めにより書かれたバレエ音楽は、結局バレエ・リュスでは陽の目を見なかったが、原曲から改変された「スキタイ組曲」は、若きプロコフィエフの果敢な挑戦と、強烈な個性に満ちる傑作だ。
その頃、バレエ・リュスにはニジンスキー不在で、かのバレエ団は過渡期だった。新たな男性第一舞踊手を探していたディアギレフは、ついに桁違いの美男子を探し出した。それが、後に男性第一舞踊手かつ振付家となるレオニード・マシーンである。

プロコフィエフ:
・スキタイ組曲「アラとロリー」作品20(1915)(2002.7.4録音)
・カンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」作品78(1938)(2002.5.5Live)
オリガ・ボロディナ(メゾソプラノ)
ワレリー・ゲルギエフ指揮キーロフ劇場管弦楽団&合唱団

暴力的な、荒削りの音楽が襲い来る。強力なうねりと官能を秘めるゲルギエフの棒。

初演を回想してのプロコフィエフの言葉。

わたしが個人的に招待したグラズノフは、また癇癪を起して、「日の出」のフィナーレの最後から8小節前で耐え切れずに出て行ってしまった。「音楽院の学長は新作を容赦なく酷評した」と新聞は記載した。ティンパニ奏者は皮を叩き破ってしまい。ジロティはその破けた皮を記念品としてわたしに送ってくれると約束した。オーケストラ側でも微弱な妨害行為がいくつかあった。「もしわたしに病気の妻と3人の子供がいなかったら、こんなことを絶対我慢していないだろう!」と、すぐ背後のトロンボーンにほとんど鼓膜を破られそうになったチェロ奏者がうめいた。
田代薫訳「プロコフィエフ自伝/随筆集」(音楽之友社)P62-64

モダニスト、セルゲイ・プロコフィエフの真骨頂。僕はこの頃の、怖れを知らず、未来だけを見据え、作曲の筆を執ったプロコフィエフが好きだ。

ところで、「ワークス」第1面は、キース・エマーソンによるピアノ協奏曲。
これは文句なく素晴らしい逸品だ。ただし、もはやEmerson, Lake & Palmerの作品であるとは言い難い。

ピアノを打楽器的に扱うプロコフィエフに倣ったのか、あるいは、バルトークの影響だろうか、ここでのキースのピアノは、激烈な打鍵から美しい旋律を見事に浮き上がらせ、輝かんばかりのオーラを発する。ジャジーな第2楽章アンダンテ・モルト・カンタービレから終楽章トッカータ・コン・フォコに移る瞬間のカタルシス。静から動への、生命力蠢く、ロック音楽とクラシック音楽の完璧なる融合。否、源泉は、アルベルト・ヒナステラだ。

津田理子によるヒナステラのピアノのための作品全集が素晴らしい。

ヒナステラ:ピアノのための作品全集
・アルゼンチン舞曲集作品2(1937)
・3つの小品作品6(1940)
・童謡による小品(1942)
・12のアメリカ大陸風前奏曲作品12(1944)
・南米風舞曲の組曲作品15(1946)
・アルゼンチンの童謡によるロンド作品19(1947)
・ピアノ・ソナタ第1番作品22(1952)
・ピアノ・ソナタ第2番作品53(1981)
・ピアノ・ソナタ第3番作品55(1982)
津田理子(ピアノ)(2000.2.22-23録音)

円熟期の第1番の独創性とパッションこそキース・エマーソンに霊感を与えた傑作だろうか、あるいは晩年の第2番、第3番の民族的現代的イディオムの創発にも僕は思いの外惹かれる。
第2番第1楽章アレグラメンテの喜び、第2楽章アダージョ・セレーノ/スコレヴォレの神秘、そして、終楽章オスティナート・アイマラの思念と感情渦巻く動乱。わずか13分ほどの音の呪縛。単一楽章の第3番は、最晩年のヒナステラの、外面の複雑な音形に比して、内側のまるで遺言の如くの透明さ。津田理子のピアノには作曲家への思慕、憧憬が見事に刻印される。

ちなみに、「ワークス」で外せないのが、キースのアレンジによるアーロン・コープランドの名曲”Fanfare For The Common Man”。こういう演奏を聴いていると、志向は三者三様でありながら、キースとグレッグとカールがひとたび一体となったとき、彼らが他の追随を許さないパフォーマンスを繰り広げるだけの絶対的つながりをあの時点でも有していたことがわかる。(これが一発録りであることがそもそも奇蹟的!)

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