傾聴

beethoven_12_smetana_quartet.jpgカウンセリングの基本である「信頼、共感、受容」。その全てを真に理解し、体得、行動に移すことは難しい。言葉で並べ立てること、そして理屈でわかることは容易いのだが。今日も研修をやっていて、様々な人たちとの「気づき」のシェアーを通してわかったことがある。ほとんどのトラブルの原因は、「人間関係」から生じる問題にある。他者を理解し、受容できないこと、もっと突き詰めれば「自分自身を受け容れることができない、すなわち自信がない」ということに行き着くのかもしれない。相手と直接に出会い、コミュニケーションを通じてお互いが受け容れあうことがとても重要なのだ。

仕事にせよプライベートにせよ、問題が生じる時に自身の内面で起こっている事実に注意を払ってみると、「相手の話を聴いているようで聴いていない」ということがよくあるように思う。すなわち、カウンセリング技法でいうところの「傾聴」がしっかりできていないことが諸問題の根源であると僕は考えるのである。
「傾聴」とは、言うは易い。しかし、たった5分間といえども、自分に意識を向けずに目の前の相手の話だけを聴き、ひたすら受容するという神技を誰ができるというのだろうか?人は人と交流している時、他者の話を聴いている時、大抵ふと別のことを考えてしまったり、次に言う反論や意見を考えてしまう。その瞬間は「聴いているようで聴いていない」。その結果、早とちりや失敗につながる。

本日その場に居合わせた方々に贈った当たり前だが、なかなかできない行動指針。
「人のいうことをよく聴くこと。そして自分自身を毎日省みること。良かったことにはどんな些細なことでも自分に拍手を送ろう。問題に関しては棚に上げず、何がいけなかったのかしっかり反省しよう。」

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第12番変ホ長調作品127&第14番嬰ハ短調作品131
スメタナ四重奏団

スメタナ四重奏団の演奏するベートーヴェンの後期四重奏曲の全てはまさに「傾聴」に値する傑作である。いや、軽々しく「傾聴」などという言葉を使うべきではないかもしれない。難聴から最終的には「音」を失った晩年の楽聖の「心の境地」が完璧に音化された「空、すなわち0(ゼロ)」の世界が見事に体現されており、完全に無の状態に自身を置かない限り「一つになれない」音楽なのである(えっ、そんな境地の音楽を岡本は容易く感受できているのかって?-いえ、できておりません。おそらく一生かかってその本質に少しでも近づければ本望だと思うほど「神の領域」に達してしまっている神業なのです)。ゆえに、心静かに「傾聴」せずにはその真髄の一端すら受容できない代物なのである。アルバン・ベルク四重奏団の演奏する後期四重奏曲然り、ブッシュ四重奏団のもの然り。僕はベートーヴェンの後期四重奏曲を実演で聴くということは本当に畏れ多い行為だと思っている(いや、でも生で聴きたい!・・・ちょっとした矛盾・・・)。なぜなら、息が詰まるほどの緊張感とエネルギーの消費を強いられるから。大袈裟に言うと、他の余計なことを一切考えず、その世界に没入できる状態の時にこそベートーヴェン最後の四重奏曲が相応しい。

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